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 南部実長は、当時の武家の中では名門中の名門、甲斐源氏の血を引く武人でした。その父・南部三郎光行は鎌倉幕府草創の頃、奥州征伐に功があり、のちに陸奥の国を与えられ、陸奥南部氏の祖とまでなった武将です。また、この甲斐源氏と言う血筋からは、後に「戦国最強の武将」と評価される「武田信玄」が出ますがこれは後のこと。まだ、この時代は一族がそれぞれ各地の荘園を分割統治している時代でした。

その中で南部実長は波木井郷を領有する地頭として活躍していたのです。だから別名・波木井実長ともよばれました。

日興上人との出会いは文永六年(1269年)ごろと言われ、一説によれば嫡男・南部清長が最初に入信し、父・実長を折伏したといわれています。最初は、駿河・甲斐を中心に活動していた日興上人を師匠と仰いで信仰活動をしていました。しかし、大聖人がなくなり、民部阿闍梨日向が身延に登山してからは、それまで親しくしていた日興上人から離れて日向を師匠格と仰ぎ、最後には「日向を師匠とした」などという発言までしてしまったのです。