身延の地頭・波木井日円(南部実長) と日興上人の確執
- 南部実長 … 新羅三郎源義光を祖とする甲斐源氏の分流・南部家の出身。南部三郎光行の四男とする説が有力。
- 居館の有った土地(甲斐国波木井郷)の名前から「波木井実長」とも呼ばれている。
- 日興上人の教化により、文永六年(1269年)ごろ大聖人の門下になった。
- 大聖人が鎌倉を離れ、身延に入山されたときも、草庵を造営して外護の任に当たった。しかし、外護したとはいえ、必ずしも充分とは言えなかったようで、大聖人の御書の片鱗には、その当時の苦しい生活の様子が伺えるものもある。
- 大聖人御遷化の後、日興上人が身延に入山されたことを大いに歓迎するが、必ずしも日興上人の厳格な教義に馴染めなかったようで、後に登山してきた民部阿闍梨日向の軟風に染まり、数々の謗法を犯すようになった。
- 日興上人は度々実長を指導するが、「日向が許したから」と言って聞き入れず、ついに「私は日向師を師匠とする。」と発言してしまう。
Notes: