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 ついに日興上人は御本尊、大聖人の御遺骨、御影を奉じて身延の大坊を後にしました。時に1288年(正応元年)12月16日のことです。しばらくは南部一族出身の弟子・越前房の請いを受けて、波木井郷の私坊にしばらくの間留まっていたようです。その間、鎌倉にいた波木井実長と、手紙を介しての意見交換があったようですが、ついに波木井実長との間が修復ならず、決定的な状況となってしまいました。

日興上人とその一門は越前房の私坊を出、しばらくは富士の河合の養家(日興上人の外祖父・由比入道の家)に身をよせました。そして、大檀那の一人である駿河国上野郷の南条時光の請いにより、南条時光邸(現在の下条妙蓮寺)に落ち着くようになったのです。

さらに、時光の館北方に開ける大石が原の景勝に思うところを得たのか日興上人とその一門は、ここに大坊を設けました。1290年(正応3年)10月頃のことです。


日蓮正宗の歴史 PartT 「身延離山」