南部実長の謗法−日興上人を追いつめたもの(2)
三、釈迦如来の仏像を造立し、それを本尊とした。
大聖人御在世の時、所持していた立像仏を御入滅後御遺言に従って、陵墓の傍らに置かれてあったが、百箇日の法要の後、弟子の一人大国阿闍梨日朗の手によって持ち去られていた。
この事を理由として波木井実長は、日興上人にこれに代わる久遠実成の釈迦仏造立を懇願し続けていたが、日興上人は大聖人の教義の上から、これを拒否した。しかし、実長は納得せず、逆にこの事は大聖人が自分の身に入れ替わって、日興上人に御諫言申し上げたのである、と自讃していた。
結果、日興上人が身延を離山した後、念願の釈迦仏像の造立供養を果たすのである。
四、一門仏事の助成と称して、九品念仏の道場を造立した。
九品往生を説く念仏の道場を一宇造立した。
- 以上を四箇の謗法という。実長は、以上の謗法を悉く犯し、大聖人の教義を破っていった。しかし、これは実長自体に責任のあるものでなく、その本質は学頭・民部阿闍梨日向の誤った信仰指南によるものである。二所の権現・三島神社の参詣は、当時鎌倉の御家人であれば常識であったし、まして南部家は名門甲斐源氏の一族であった。福士の塔並びに九品念仏道場の造立は、郡領主の権威誇示の方法としては、当時一般に行われていたことである。そして、久遠実成の釈迦仏造立にしても、天台宗であるならば賛嘆されることはあっても、非難される筋合いのものではない。
Notes: