『ファンタジウム!』

作 山下泰昌

第一話 それもいわゆる一つの出会い


 ぶっ飛んだ。
 仰天した。
 思わず息を飲んだ。
 普段、爺ちゃんに驚天動地な特訓ばかり受けているから、ちょっとしたことでは驚かないという自負はあったのだが、その自信はもろくも崩れ去ってしまった。
 でも、敢えて自分の名誉のために云わせて貰うとこれは仕方がないことだと思う。
 だってさ、目の前に突然、一人の男がすっ飛んで来れば、誰だって驚くよ。
 信じられないくらいに身体を『くの字型』に折り曲げて目の前を飛んでくれば。
 男はスニーカーの底を天に向けて宙を滑って行く。顔には下手な劇画マンガのように何重にも皺を重ねて、苦悶の表情を浮かべている。口元から汚っねえ吐瀉物が溢れ掛かっている。
 これは相当腹部を強打されたんだな。
 その男が背中からアスファルトに落下して動かなくなるまで、俺、中山晃弘(なかやま あきひろ)は冷静にそんな分析をしていた。
 心は『驚い』ていても頭の一部分はこういう冷静な観察をしている。これはさっきも云ったけど常識外れな爺ちゃんの特訓の賜物だろう。
 しかし、これから夜のトレーニングに出掛けようとした矢先に、飛んでもない場面に出くわしてしまったもんだ。
 「てめえっ」
 男が飛んできた方から極めてスタンダードな怒号が聞こえてきた。
 俺がその方向に視線を向けるのと、怒鳴った男が膝から崩れ落ちるのはほぼ同時だった。
 怒鳴った男は首の筋が切れるんじゃないかってくらいに空を仰ぎ、そのまま後方、つまりこっち側に倒れ込む。
 男が倒れてくれたことで、視界がクリアになった。おかげでたった今、男を倒した人物の姿を見て取ることが出来る。
 「へえ」
 思わず声を出していた。そんな自分に少し驚く。

 そこに居たのは、少女だった。
 年はたぶん高校一年の俺とほぼ同年代だろう。目立つのは深紅のリボンでポニーテールに束ねられている艶やかなロングヘアだ。だが彫像のように整った顔立ちの中で光るその猫目がちな瞳に俺の視線は縫いつけられた。
 凄烈な意志、そして生き様。
 純粋な怒りの光を湛えたその瞳、周囲を威圧するようなその瞳は、百の言葉よりも雄弁にそんなものを物語っていた。
 俺は今までこんな少女は見たことが無い。
 瞳だけでこれほど自分を表現する少女を。
 だが彼女はそんな俺の感慨など当然気が付くことも無く、身体を小さく屈めて素早く辺りに視線をめぐらせている。
 そして彼女を取り囲む男どもに対してその闘いの触角を向けた。
 
 しばらくその少女に目を奪われていた俺だったが、いつの間にか周り出来ていた人だかりに、はっと我に返った。その子オンリー視点だった視界が徐々に広がって来る。俺は冷静に辺りを観察することにする。
 まずその少女を中心に三人の男が取り囲んでいる。怒りの形相で少女に対峙しているところを見るとまず間違いなく敵対しているのだろうと想像が付く。
 その少し離れたところには小柄な別の少女がいる。こちらは闘っている少女とは対照的に気弱そうな子だった。怯えた表情を顔に浮かべ、小さく震えている。だがそれはそれで可愛いかった。ちょっと俺の心がぐらついた。まあ、それは置いておく。
 そこから少し離れたところに先程吹っ飛ばされた男が二人転がり、更にその外に俺を含めた野次馬が集まっている、ってわけだ。
 だいぶ状況がクリアになってきた。
 つまりこのポニーテールの少女は、道の端で怯えている少女を助けようとしたわけだ。この五人の男どもから。
 そうと分かれば、話は早い。お好みの方を助太刀するだけだ。
 俺は肩に掛けている黒のレザーの竹刀袋の留め金を外した。『竹刀袋』と云ってもこの中に入っているのは二振りの木刀。その木刀をいつでも抜きやすくする。
 さあて、あとはどのタイミングで割り込むかだ。
 俺はじっくりと戦況を見つめることにした。

 二人の仲間を瞬殺された男どもはポニーテールの少女に無造作に仕掛けようとしなかった。それは正解だ。彼女に隙らしい隙は微塵も感じられない。今、適当に突っ込んだら先の二人と同じ運命を辿るのは間違いない。
 そういう時はこちらから隙を生じさせるための動作を仕掛けなければならないのだが、男どもにはそういうスキルは無いらしい。
 そうこうしている内に少女の方が先に動いた。
 「ほお」
 それは予備動作無しの無駄のない踏み込みだった。
 少女は突然、一人の男の懐に飛び込んだ。男があわてて右拳を繰り出すが少女は余裕でそれを右に受け流す。そしてすぐに男が呻いた。
 うまい。
 俺は心の中で手を叩く。少女の顔は真っ直ぐに男に向けられていた。だが、その右踵は男の左足の甲を踏み抜いている。男が呻いてその身を屈めるとすかさず少女のアッパーは顔面を抉った。
 この間、実に五秒も掛かっていない。しかもそのどれもが非力な女性でも十分な威力を発揮させる技ばかりだ。余程の熟練者に違いない。
 こりゃ、助太刀の必要性もない。残りの二人も程なくして倒されるのは目に見えている。
 それくらい少女と男たちの実力差はかけ離れていた。
 割り込むチャンスを完璧に逸して、少しがっかりしながら竹刀袋の留め金を閉めようとしたその時、突然、少女の足下のアスファルトが不自然にはぜた。
 「!」
 少女は何かに感づいたらしく、威嚇の瞳を群衆の中の一角に向けた。そう、闘っているはずの残りの二人の男ではなく。
 そしてその方向に強く毒づいた。
 「いい度胸じゃない。ここにはもうすぐ警察が来るわ。そうしたらあんた捕まるよ」
 「その前に終わらせば良いんだろ」
 野次馬の中から長身の男が現れた。180センチはありそうだ。男は両手をズボンのポケットに突っ込んで余裕の笑みで少女に向き合う。
 そしてかなりな間合いを置いて長身の男は少女と対峙する。
 「対峙」と云ったが、その距離は近接戦闘の距離ではない。蹴りすら届かないかなり遠い間合いだ。これだけ間合いを取られては少女の飛び込みがいくら早いと云っても、なんなく躱されてしまうだろう。
 男は口元に余裕の笑みを浮かべると、何事かを呟いた。それに気が付いた少女は咄嗟に横っ飛びに跳ねる。
 とたん、今まで少女が居た空間がぱんと景気のいい音を立てて弾ける。さっきと同じ現象だ。
 これは?
 これは、まさか?
 俺はあわててポケットからキーホルダーを取りだした。その根っこには小さい石が付いている。石は暗闇の中でぼおっと赤く輝いていた。
 この石が赤く光るってことは――
 ――これは、魔法だ!
 同じ事に気が付いた野次馬の何人かが驚いて、その輪を広げる。

 魔法はある特定のフィールド以外で使用することは犯罪と見なされる。特に公道でそれを行使するのはもってのほかだ。道のど真ん中で鉄砲をぶっ放すことと同じなのだからそのとんでもなさが分かるってもんだろう。
 だが、世の中どうにも例外というか、性悪なヤツもいるってわけで、そういうヤツ対策のために魔法の使用を制限する法律と、この魔法石がある。
 魔法石はどこのコンビニでも売っている安価なキーホルダーだ。普段は何の変哲もない只の石だが、誰かが近くで魔法を行使したりすると淡い赤色に輝く。
 魔法犯罪の自衛策でもあるので、警察はこれの携帯を呼び掛けているがあまり浸透していない。
 なぜかって? それは魔法を使う人間がほとんどいないからだ。
 魔法はある程度の訓練を必要とし、しかもそれを使えるのは一部の特定競技従事者のみである。しかもある程度の修行期間が必要だ。そしてそれはある競技に使用することを除いて、その修行に見合った分の成果が得られるかと云ったらそれはかなり疑わしい。
 だってタバコに火を点けることを想像して欲しい。呪文を唱えて精神を消耗させる魔法で火を点けるより、スイッチ一つで点火出来るライターの方が便利だと思わないか?
 
 だがその魔法を公然と使うヤツが目の前に現れた。正直、俺もテレビや中学の時のスポーツ観戦で見ただけで、魔法を直接目の当たりにしたのは初めてだった。
 「西野(にしの)さん!」
 残された男二人がその男の登場に安堵の声を上げる。どうやら仲間だったようだ。
 西野と呼ばれた男は蔑むような視線をその二人に向けてから、ゆっくりとポニーテールの少女に向き直る。
 「今なら見逃してやる。そいつを置いて消えろ」
 西野は顎で怯える小柄な少女を指してそう云った。
 小柄な少女はその言葉を訊いてさらに震え上がった。
 緊張が辺りを包む。
 周りの野次馬も思わず息を飲んだ。
 闘いの流れは完全に男たちの方に傾いた。
 近接戦闘では圧倒的に男ども上回っている少女だが、こんな飛び道具を持ち出されては完璧に不利だ。
 俺は肩に掛けている竹刀袋を完全に降ろす。これでいつでも木刀を取り出せる。完全臨戦態勢だ。
 だが。
 「ぷ」
 その緊迫した空気を分かっているのか、いないのか、少女は小莫迦にするように吹き出した。笑いを堪えて俯いている。
 その場に居た全員はその光景に呆然とした。そう、俺も含めて。
 「なに? そんなへっぽこ魔法でそんな威勢のいいセリフ吐いちゃっていいわけ?」
 そう云いつつ、たまらずあふれてきた涙を指で拭っている。本気で失笑していたらしい。
 その言葉で激怒したのは当然のことながら西野だった。怒りで真っ赤になった顔面を震わせて激しい口調で何事かを呟いた。
 ――呪文。
 俺は瞬間的にそう悟った。
 いや、俺自身、魔法についてそれほど詳しいわけではない。だけど魔法を行使するには呪文というものが必要だということだけは知っている。状況から考えて、今、西野が呟いた意味不明な言葉はそれに違いない。
 だが、少女はそんな西野に対して臆することもなく、不敵な笑みを浮かべていた。
 そしてこう、叫んだ。
 「これが、『ザ・魔法』ってのを見せてあげるよ!」
 と。
 少女は素早く右に動きながら口の中で何事かを呟き始める。その行動に西野は驚きの表情を隠せない。その数秒後、今まで少女が居た場所のアスファルトが細かく砕け散った。
 なるほど。
 遠隔攻撃出来る魔法は言ってみれば、弓矢のようなものだ。一所に留まっていると狙い撃ちされてしまう。だからと言って前後の移動では狙いが定められ易い。魔法術師の狙いを外すには左右に絶えず細かく動いていた方が良い、ということになる。つまり少女の動きは理に適っているというわけだ。
 狙いが外れたことを確認した少女は、いきなり進行方向を変え、今度は西野に向けて突っ込んで行った。
 魔法を行使し終えたばかりの西野はあわてて次なる魔法を行使すべく、呪文を唱え出す。
 これまた、なるほど。
 魔法を使うためには呪文が必要だ。しかし呪文を唱えるためにはある程度の時間が必要。それは必然的にタイムロスを発生させる。魔法術師と闘うにはそのタイムロスを突けば良い、ということだ。これまた少女の行動は理に適っている。事実、少女は西野が呪文を唱え終わる前に、その懐に飛び込んでいた。
 少女は不敵に西野を見上げる。その時、少女の呟き――呪文は詠唱を終了していた。
 これから起こるであろう何かを予想したのか、表情を驚愕に歪ませる西野。俺はそんな光景をまるでスローモーションフィルムでも見るかのように眺めていた。
 少女はその右手を西野の腹部に、ぽんと押しつける。
 まるでスイカを吟味でもするかのように、軽く、ぽんと。
 とたん、つんざくような破裂音と衝撃波が辺りを覆った。俺を含めた野次馬どもはそのあまりの爆音に思わず、身を屈め、耳を塞ぐ。
 ようやくその衝撃波が落ち着いて来た時に俺は顔を上げた。そしてとてつもない光景を目の当たりにする。
 辺りには何かが燃えたようなきな臭い匂いが充満していた。
 服の腹部を焼け焦がして仰向けに昏倒している西野。そして周囲を威圧するようにそれを見下ろしている少女。
 少女は倒れている西野に近寄ると追い打ちを掛けるように、その腹に勢い良く、足を振り下ろす。
 西野は鳩尾に踵を喰らい、うめき声を上げた。
 スカートから健康そうな大腿が露わになるが、少女はそんなことは意にも介していない。ふてぶてしいまでの笑みを口元に浮かべる。
 「分かった? これが『魔法』よ」
 当然、西野は言葉を返すことも出来ない。
 「そんな、属性魔法だなんて……」
 少女を取り囲んでいた男の一人が呟いた。
 魔法――
 これも魔法か。
 それまで西野が使っていた魔法など霞むほどの圧倒的な威力。そして効果。
 局面は決定した。もはや男どもに反撃する気力は残っていなかった。それは当然だろう。全てに於いてこれほどの力の差を見せつけられたのなら。
 ポニーテールの少女も、男どもも、怯えている小柄な少女も、野次馬も、そして俺の誰もがそう思っていた時、事態はさらに新たな局面を迎えようとしていた。

 その時、アスファルトの上に深紅のリボンが、はらりと落ちたのだ。

 「え?」
 少女はそのリボンを信じられない物を見るような目つきで見ていた。
 とたん、ばさりと少女の艶やかな髪の毛が落ちてくる。
 そのロングヘアをポニーテールに束ねていたリボンとゴムが、激しい戦闘で切れたのだろう。
 風が巻き込むようにその長髪を揺らす。それは夜の空気にまみれて妖艶な雰囲気を醸し出していた。
 「え?」
 だが、少女は戸惑うような声を上げた。そして自分の首筋を流れる髪の毛を手に取る。
 「え? え?」
 少女が身に纏っていた周囲を威圧するようなオーラみたいなものが、ふっと掻き消えた。少女は自分の後頭部に手をやり、リボンを確認する。だが、当然のごとくそれはもう無い。
 「いや」
 少女は顔を覆った。そして何かに怯えるように身体を震わす。
 「いやあ」
 そして身体を屈めるとその場にしゃがみ込んだ。
 「いやああああああ!」
 もはや少女にさっきまでの威圧感は無い。
 戦意を喪失していたはずの二人の男も何事かと顔を見合わせる。
 だが少女は無防備な背中を二人に向けているだけだった。
 やがて男どもは意を決して少女に掴みかかった。後ろから少女を羽交い締めにする。
 少女は反撃の体勢すら取ろうとしない。ただ泣きじゃくるだけだ。
 どうもブラフって訳でもなさそうだ。
 ヤバイ。これは確実にヤバイ。
 さっきまでが凄まじかった分、この戦闘力の喪失は致命的だった。
 一体、何が起こったってんだ。
 俺は訳も分からないまま、何のためらいもなく木刀を一振り抜いていた。
 そして、唖然としている野次馬の中から飛び出して行った。
 その騒動の渦中へ、と。
  


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