作 山下泰昌
第二話 表裏一体、夢一杯
少女と対峙していた男どもは激しく戸惑っていた。
なにせさっきまであれほどまでに圧倒的な戦闘力で場を制圧していた少女が、何の前触れも無く泣き崩れたのだから、それは当然だ。
だがこの機を逃すバカどもでは無かったようだ。
一人の男が少女の右腕を抱え込み、もう一人が後ろから羽交い締めにした。
少女はなすがままだった。逃れようと身体に力を入れているようにも見えない。
男どもは少女のいきなりの変化に戸惑いつつも、徐々に形勢が逆転したことを認識しだしたようだった。
表情に自身が漲り、乱暴な言葉遣いで少女を罵倒し出す。少女の身体から発散されていた気迫の変化を如実に感じ取ったからだ。表面上の変化よりそういうものの方が真実を告げることがある。それに直に対峙している人間ほどそういうものが感じ取れるというものだ。
少女に反抗の意志なしと見た男は、少女の右手を離し、その正面に向き直った。恐れからか目を伏せて泣きじゃくっている少女の顔を不敵に覗き込み、その頬に激しく平手を放とうとした――
――が、当然のごとくその平手は少女の頬に届く前に失速することになる。
なぜかって?
だって俺がいるじゃん。
俺がしゃしゃり出てきたってのに、そこまで男どもに好き勝手にやらせる道理はない。
突然目の前に出現した木刀と、突然たたき落とされた右腕に、平手打ちをしようとした男は呆然とした。そして遅れてやってきた激痛に右腕を抱えしゃがみ込む。
大丈夫。折れちゃあいない。それくらいは加減してやった。
俺は心の中でそう声を掛けてやりながらそいつの首筋に、とんと木刀を叩き込む。
男はへたくそなパントマイムのように膝から崩れ落ちた。
俺は少女を後ろから羽交い締めにしている男にゆっくりと向き合う。
男はどこかで見たゲームキャラのように口をぱくぱく開けたり閉めたりしている。
そうだろ、そうだろ。
事の状況を良く飲み込めていないんだな。まあ、それは当然だ。
女をナンパしようとしたら、どこからか現れためちゃ強な少女に邪魔されて、それでそいつがいきなり弱くなって形勢逆転かと思いきや、どこの誰か分からない木刀を持った男に乱入されて。
俺が同じ立場でも何が何だか分からないと思う。その点だけは同情する。
だが、唯一同情出来ないのは、戦闘の意志の無い女に暴力を振るおうとした点だ。
こういう時は女の味方をしろ。
これが中山家の男性陣に代々伝わる家訓だ。
俺は木刀の切っ先を羽交い締めにしている男の眼前に突きつけた。
少し遅れて男は怯えたような表情で顔を後ろに反らす。そして少女から身体を離した。
その瞬間を待ってた。
俺はわずかな足裁きで身体を少女と男の間に滑らす。
そして手首を切り返してそいつの腹部に木刀を叩き込む。
もちろん手加減してやるのはデフォルトだ。
俺が本気で木刀を振ったら、内臓破裂で一発であの世行き、そして俺は刑務所行き。こんなくだらねえケンカで、そんな状況に陥るのは勘弁だ。
男は妙な効果音を口から吐きだして、身体をくの字型に曲げて崩れ落ちた。
グッド。
この微妙な手加減さが分かってくれるだろうか。まさに芸術品。
倒れた男を見下ろしながらそんな感慨に耽る。でも、そんな自画自賛ばかりしていられない。
さて、と。
木刀を肩に抱えて、辺りを見回した。
野次馬が作っている円は俺と少女を中心にして形成されている。俺たちの周りにはアスファルトの上をのたうち回っている男どもが計六人。
冷静に考えれば、ゲームセットだ。とりあえず、少女と敵対していた奴らは全員倒されている。
だけど、こういうのって闘っている当事者は良く分かるんだよなあ、さっきも言ったけどさ。
俺は野次馬の中のとある方向に視線を向けた。
さっきからそっちの方向から妙な視線をビンビン感じる。野次馬特有の好奇心に満ちた視線では無く、殺気に満ちた好戦的な視線を。
俺が「出てこいよ」と云うまでもなく、そいつは円の中心に向かって姿を現した。
ちびっこくて目つきが悪いのが、ポケットに手を突っ込んだまま歩いてきた。黒い色調のジャンバーを羽織っている。
黒地に赤文字で何か刺繍が入っている。俺は目を細めてそれを見て取った。
『葛・KAZURA』
……名前だけは聞いたことがある。
その悪名はこの辺りに轟いている。かなり好戦的なファンタジウムチームと聞いている。詳しくは知らないが。
そいつは次第に近づいて来る。身に纏っているオーラみたいなものがさっきまでの男どもとは段違いだ。その圧力だけで気圧されそうになる。
が、そんな内面はおくびにも出さずに俺は悠然とそいつを見据える。
一歩、二歩。
すでに一刀の間合い。木刀を振れば相手に当たる距離だ。だが俺は身じろぎせずにそいつを待つ。
三歩、そして四歩。
小男は俺の鼻先で止まった。呼吸すら感じる距離だ。俺は木刀を肩に抱えた状態のままそいつを見下ろす。
そいつは小柄なクセに泰然と俺の目を見上げている。
細い目。
へびのような目だった。
ヘビのような赤い舌がちろちろと俺の目から心の中まで進入してきそうな錯覚を覚えるほど嫌らしい目つきだった。
「てめえら、どこのチームだ?」
そいつはごくごく自然にそう問い掛けてきた。
俺は一瞬戸惑う。
『てめえら』?
ああ、そうか。俺とこの元ポニーテールの少女が仲間だと思っているらしい。
俺は首を横に振り「違ぇよ」と言おうとして、思いとどまった。
なんつーか、さ。
こいつの質問に正直に応えるのが、凄まじく馬鹿馬鹿しく思えてきたんだよね。
別にこいつは知り合いでもねえし、積極的にコミュニケーションをとらなくちゃいけないわけでもない。第一素直に質問に応えたら、いいなりになっているようで、無性に腹が立つ。
そうと決まればやることは一つ。
俺はその質問に刀で応えてやった。
身体を急激に後ろに引きながら、肩に抱えていた木刀を手首と肘の柔らかさを利用して打ち下ろす。
絶妙の引き技。予備動作が一切無く、そいつの呼吸の合間に繰り出したこれ以上ないタイミング! そのワザのキレの素晴らしさで、見事にそいつの鎖骨を叩き折った――はずだった。
だが、木刀はそいつの顔面寸前で止まっていた。そう、そいつの手の甲によって。
ちょっと待て。
いくらそいつが鍛錬しているって言っても、程度ってものがある。今の俺は確かに骨を折るくらいの勢いで木刀を振り下ろした。それを手の甲で抑えきるなんてことはどう考えても出来っこない。
そいつは木刀を防ぎぎった自らの腕の下から俺をじっと睨み上げた。
そう、あのヘビのようなねちっこい瞳で。
ねっとりとしたその視線は俺の瞳から体内に進入し、心臓を掴み上げる。
そいつの殺気が暴発するように膨れ上がる。
ヤバイ! 俺の本能が瞬間的にそう伝えた。
その時。
場の喧噪を遮るような甲高い警笛が鳴り響いた。
空気は一気に壊れる。
警察だ。
これだけの魔法も飛び交う大乱闘をしていれば当然のことだろう。
野次馬どもは落胆したような声を上げ、そして余計なとばっちりに巻き込まれたくないと思う奴らから順に散々に夜の雑踏の中に消えていく。
俺と対峙していたちびっこい男もふっと気を緩めると、ゆっくりと後ずさりをし、俺から距離を取った。
そして、にっと笑う。
「また、な」
二度と会うもんか。
心の中でそう即答しながら、構えを解きもせずそいつが歩み去るのを見守っていた。つまり、そいつからの殺気がいつまでも感じられて気が抜けなかったんだ。
やがて野次馬の山も次第に散り散りとなって視界がかなりクリアになった頃。
向こうの方から警官が早足で近づいて来るのが見えた。
やべえ。
俺はすかさず、アスファルトの上で崩れ落ちている少女の腕を引き上げる。
「こっち」
放心状態の彼女は戸惑いもせず俺に従う。
そして、もう一人。
確か端っこの方で震えていた小柄な娘が居たはずだ。
だがじっくり辺りを見回しても、その少女は見当たらない。
そうこうしている内に警笛の音は近づいてくる。
もう探している時間はない。どうも、俺があのちびっこいのとやり合っている間に逃げたようだ。
ちぇ。恩知らず。
心の中でそう悪態を吐いて、少女を引き連れて素早く細い横道に飛び込んだ。
二人分の吐息が夜の空気に紛れ込む。
俺達は何回か細い路地を曲がった後に見つけた駐車場に隠れていた。
ここまで来れば大丈夫だろう。
ワンボックスタイプのファミリーカーの影でしゃがみ込みながら、隣の少女に声を掛けた。
「大丈夫?」
少女は不安そうな表情を隠せないまま、こくりと頷く。
そのつり目がちな瞳は、涙に潤んで不安に満ちていた。
俺はその瞳を直視できず、思わず視線を逸らす。
すぐ隣から何かのコロンなのか、くらくらするような匂いが夜気に紛れて漂ってくる。
横目で彼女の方をちらりと覗き込む。
膝を抱えて、そしてその小さな肩を震わせて、怯えるように俯いている。
さっきまでポニーテールで結ばれていた艶やかな髪の毛は、月の光を反射して天使のようだった。
この今にも崩れそうで可憐な娘がとてもさっきまでの闘いの場に君臨していた人間と同一人物とは思えない。
どうしたらいいんだろう。
どうしたらこの震えているこの娘を元気づけてあげられるんだろう。
素早く頭を巡らしたけど、いまいちいい考えが浮かんで来ない。
格闘時の引き出しはたくさんあるが、こういう時はどうしたらいいのか経験も知識もない。
「あの、さ」
沈黙が絶えられなくなって俺はそう声を掛けた。
声に反応して、その娘は戸惑うような表情で俺の方を向いた。
とりあえず声を掛けるだけが目的だった俺は、彼女の次の言葉を促すような表情に困惑した。
一体、何を話したら良いんだろう。
そこで俺はようやく会話を交わすことがとりあえず重要だ、ということに気が付いた。そもそも俺と彼女は初対面だ。見も知らない人間にヘタに元気づけられても彼女も戸惑うだけだろう。それに適当な会話を交わしている内に彼女もきっと落ち着いてくるに違いない、と。
「さっきのは、何で……?」
俺の質問にしばらく小首を傾げていた少女は、何かに気が付いたように頷き口を開く。
「あの……小さな女の子が男の子達に絡まれていたんで……助けようと思って」
……いや、そういうことを訊きたかったわけじゃないんだけど。そんなのある程度観察力があれば分かることだし。でも、ま、確かに俺の質問も言葉が足りなかったけど。
「いや、君さ。途中までめちゃ強だったじゃん? だけどさ、いきなり弱くなっただろ? あれはなぜ?」
初め俺の質問にきょとんと目を丸くしていた少女だったが、すぐに「ああ」と納得して頷いた。
「私ね、ダメなんです。これがないと……」
少女はそう言ってポケットから何かを取りだした。
それは切れた紅いリボン。さっきまで少女の後ろ髪を束ねていたリボンだ。
アスファルトの上に落ちていたはずなのに、あの撤収のどさくさの中でどうやら拾いあげていたらしい。
「これを付けてないと。これを……」
俺はその言葉の後を待った。だけどいつまで経ってもその後は続かなかった。暗闇の中、月光を頼りにその表情を盗み見る。彼女はそのリボンを食い入るように見つめている。何かを懐かしい日々を思い出すかのように。
優し気な表情だった。よく歌の中で女の子のことを天使のようだと表現することがあるけど、ようやくそれが納得いった。
でも、俺の視線はどんどんおかしなところへ移っていく。彼女の唇。リップもなにも塗ってそうにないのに、ピンク色で艶やかだった。もの凄く柔らかそう。そして視線はそのすぐ下に移る。簡単なスエットの上にダウンの上着を羽織っただけの状態だからその胸元が自然と目に入る。鎖骨が月の光と暗闇とに演出されて艶めかしく映える。
……。
段々居心地悪くなってきた。そもそも俺の十五年の人生の中で肉親以外の女性とこれほど接近して話したことなんてないのだ。
「じゃあ、さ」
「え?」
俺のする行動にその娘は目を丸くした。そして身体を固くしてじっと縮こまる。
ポケットからハンカチを取りだした俺は、それを細く折り畳み、彼女の後頭部に持っていった。
「あ、あの」
「じっとして」
そして髪の毛を束ねてそこに結びつける。正直、女の子の髪の毛を結ぶなんてことしたのは生まれての経験なんで、なかなか上手いこと出来ない。
それでも不格好ながらどうにかポニーテールの形になってほっと安堵の息を洩らすと、俺は彼女から身体を離した。彼女は恐る恐る自分の後頭部に手を持っていく。
「あの、これ……」
問うような上目遣いで俺のことを見上げる。
俺はその視線をまともに受け止めることが出来なくて、目を逸らしながら口を開いた。
「これで、どう? 元気でた? ちょっと不格好で白いリボンだけどよ」
彼女は俺の言った言葉の意味がよく分からなかったようだ。だけどしばらくしていままで不安そうな表情で満ちていたその顔を急にぱあっと明るくさせると、瞳に溜まっていた涙を指で拭いた。
「うん」
そして小さく「ありがと」と続けた。
……やっべ。
ずぎゃんときた。俺の心臓にずぎゃんときた。
可愛い。いや、初めからそうは思っていたことだけど、滅茶苦茶可愛い!
外見は言うまでもなく、その存在が可愛い! この目の前で涙目で小さく縮こまって俺に微笑み掛けているこの子を抱き締めたくなるほどに可愛い!
実際、俺はその衝動をすんでのところで抑えたほどだ。
こんなようやく泣きやんだばかりの情緒不安定な女の子にいきなり抱きついたとしたら、そりゃあ人間としてどうかと思う。
とりあえず、この子と繋がりを持ちたい。また会いたい。それにはどうしたらいいんだろう。それには、
「おい、そこでなにやっているんだ?」
いきなりの光が俺の目を灼いた。
突然、懐中電灯を当てられたせいだ。とっさに掌で視界を遮って状況を把握する。
俺達が隠れている車と車の隙間に懐中電灯を照らし、顔を覗き込んでいるのは警官。しかも二人。
咄嗟に身体が反応する。敵を確認した獣のように即座に臨戦態勢に入る。それと同時に頭もクリアになる。現時点で何をすべきかを最優先でチョイスする。
とりあえず、俺は捕まってもたいした罪にはならない。せいぜい、第三者への暴行行為や路上での乱闘行為が咎められるだけだ。だが、彼女は違う。路上で魔法を使ったということで、俺より重めの罪となるはずだ。俺は小声で囁いた。
「俺がひきつける。その間に逃げろ」
「え?」
彼女が問い返す間も与えず、俺は警官達に向かって突っ込んでいった。そして奴らが体勢を整えようとする直前を捕らえて、その脇をすり抜けて行く。
「こら待て! 逃げるな!」
厳しい調子の言葉が俺の背中から聞こえてきた。ちらりと振り向く。二人の警官が俺を追いかけている。一人は無線でなにやら喚いている。
うまく行った。
警官二人とも俺の方に引きつけることが出来た。
あとはこの隙に彼女がうまく逃げおおせてくれることを願うばかりだ。
俺は夜の街を疾走した。