『ファンタジウム!』

作 山下泰昌

第三話 ようこそ麗鳴高校ファンタジウム部へ


 なんか妙な視線を感じる。
 敵意のある視線じゃない。視線に棘々しさがないのでそれは分かる。
 だが、それだけにどこからかの視線かが特定しずらい。
 元来、俺はこの手の自分に対する視線とか気配とか云ったものに敏感な方だ。それこそ満員電車の中からこっそり俺を睨んでいる人間を特定出来るほどに。だが、こう云った一種好意的な視線にはそこまでの精度が期待出来ない。敵意のあるような尖鋭的な視線と違い、好意的な視線というのは割とぼやける傾向にある。
 ま、いっか。
 自分にそう納得させて、壇上で訓辞を述べている校長に目をやった。
 俺は今、県立麗鳴(れいめい)高校入学式に出席している。
 真新しくて着心地の悪い学ランを襟を気にしながら。

 あの日、俺はなんとか警官二人から逃げ切った。それは当然。毎日、過酷な鍛錬を施している俺がそんじゃそこらの一般ピープルに捕まってたまりますか。瞬発力、持久力とも軽くヤツらを凌駕しているはずだ。逆に捕まったら俺はショックで一週間くらい立ち直れないよ。
 でも、あの娘とはそれっきり。
 ああ、せめて名前くらい訊いておけば良かった。それと学校も。
 あの娘との繋がりが全くなくなっちまった。
 でも、多分この辺りに住んでいるんだろうな、ってことは推理出来る。だってあの日駅前にあの時間にあんな軽装で居たんだ。
 だからその内会えるさ。そんな風に思うことにした。なんたってこれから三年間の高校生活が始まるんだ。時間はたっぷりあるさ。そう思うことにした。
 そうして自分の心に決着を着けると、やっぱりウザいのが、あの視線だ。
 特定しづらいが、視線がどの方向から向けられているかは、分かる。
 俺はため息を吐いて、何の小細工もせずにその方角、右斜め後方を向く。
 一発で分かった。
 俺が向いた方向で俺のことを見ているヤツは一人しかいなかったから。
 どうも何かに憧れているような意味が込められた視線を俺に向けていたそいつは、俺と目が合ったことで驚いたように急に目を逸した。
 そいつをじっくりと観察する。
 ちっこい男だった。それでもって色白で真面目そうなヤツ。きらきらした目とそれを覆っている野暮ったい眼鏡がそう思わせるのかも知れない。
 そいつはその後も何度も横目でちらりちらりと俺の方を盗み見る。
 なんだ、こいつ。
 でも敵意のある視線ではなく、好意的な視線なので咎める訳にもいかない。
 だが、キモい。
 ただ、そいつ、どこかで見たことがある。見たことがあるような気がする。
 俺の思い違いかも知れない。これがデジャブってヤツか?
 入学式がお決まりの演目で淡々と進む中、そいつはずっと俺にその気色悪い視線を送っていた。

 「あ、あの」
 入学式が終わり、安堵した空気に包まれたまま、式典が行われていた体育館から俺を含めた新入生たちが放出されて行く。その途中に後ろから肩を叩かれた。
 振り向いた先にいたのは案の定、俺の隣で熱視線を俺に浴びせていたあいつだった。
 体育館から中央校舎に向かう途中の渡り廊下では、各クラブによる新入生勧誘が行われている。
 渡り廊下に机を張り出して、上級生がしきりに自分のクラブの勧誘に精を出している。当然のごとく俺達新入生は歩みを送らせることになり、狭い渡り廊下は更に狭くなり、とんでもない渋滞状態に陥っている。
 だがそれが熱気を醸し出していることは確かだ。
 その直前で肩を叩かれた。
 ある意味、この混雑した渡り廊下に足を踏み入れるのが遅れて良かったのかも知れない。そんなことも考えて俺は足を止めた。
 「なに?」
 何てことなく振り返ったつもりだった。だがそいつにとってかなり威圧感があったようだ。その視線に怯えの色が見て取れる。そいつと俺では身長差が二十センチ近くもある。その辺も関係しているだろう。
 「いや、べ、別に」
 そいつはそう言って歩み去ろうとする。俺は即座にそいつの腕を掴む。
 「ちょっと待った。人の肩を叩いておいて『別に』ってことはないだろ?」
 「いや、その」
 そいつは俺と目を合わせようとせず、右斜め下に視線を落としている。
 だんだん、イライラしてきた。
 なんつーか、こういうじれったいのって苦手なんだよね。
 「もう、いい」
 そう言って俺はそいつを突き放した。そして多少苛立ち気味に再び渡り廊下に向けて歩き出す。するとそいつは意を決したように俺の背中にこんな言葉を吐き掛けた。
 「ご、ごめん。あのさ、あの夜、駅前裏の路上で木刀で闘っていたのってキミだよね」
 「え?」
 俺は歩を止めた。
 見てた? あの夜のことを?
 いろいろなことが頭の中を駆け巡る。
 野次馬。群衆。ヘビのような目の男。魔法。そしてあの娘――
 「ぼ、僕さ。見ていたよ。凄かった。あの太刀捌き、目にも留まらぬってあのことだね。僕実際全然見えなかったもの」
 そいつは熱にうなされたようにぼおっとした瞳で俺の顔を見上げている。
 そうか。あれだけの野次馬が居たんだ。同級生の一人や二人が見ていたって不思議じゃないよな。
 「あ、ごめん。僕の名前は三田村宗司(みたむら そうじ)。キミと同じクラスだね。これから一年よろしく。ええと」
 そう言ってそいつ、三田村は戸惑った表情を顔に浮かべた。
 ああ、そうか名前か。
 「中山。中山晃弘」
 「中山君かあ! よろしく! それで、あの……」
 三田村は急にもじもじし出して下を向いた。そして勇気を振り絞るように上目遣いに俺を見上げると小さくこう呟いた。
 「ありがと」
 「は? なんで? なんでお礼なんか言われるの? 俺」
 「いや、ほら。その、あの凄い剣技を見せて貰ったお礼ってことで。あんなのめったに見られないもん!」
 三田村は両手をワイパーのように思いっきり振る。めちゃくちゃあわててる。やたら挙動不審だ。なんだこの男は。
 「変なヤツだな、お前」
 隠し事の出来ない質の俺は率直に感想を言った。
 あわてっぱなしの三田村は何か思いついたように突然話題を変える。
 「中山君アレでしょ? 部活は当然ファンタジウム部でしょ?」
 「は?」
 俺は思わずすっとんきょうな声を挙げた。だが、三田村は俺のそんな困惑の表情などどこ吹く風で言葉を続ける。
 「そりゃあ、そうだよね。あれだけの実戦剣技だもの、ファンタズマじゃないわけないよね! それに凄かったね、もう一人の女の子の魔法! 路上行使は法律違反ってことは分かっているけどあれだけ豪快な魔法は高校生レベルじゃ、なかなかお目にかかれないよ。あの子、一体どこのファンタズマかな?」
 ファンタズマ?
 そうか。彼女は魔法を使っていたんだ。ということはファンタジウムをやっているってことじゃないか!
 俺の眼前の視界が一気に開けた。彼女との繋がりが出来た。そう、彼女はファンタジウムをやっているんだ。
 「そうか、そうだよな!」
 俺は三田村の背中をどんと叩く。三田村は肩を竦めて苦痛に表情を歪めたが、そんなことはどうでもいい。
 そうだ! ファンタジウムだ!
 ふと向けた視線の先にとある部活の看板が目に入った。
 『ファンタジウム部』という極彩色豊かな看板が。
 
 ファンタジウム部のコーナーには、わずか二人の部員しか姿を見せていなかった。他の部員はどこか別の場所で勧誘活動でもしているのだろうか。それとも体育系部活動らしく練習をしているのだろうか。
 しかも野球部、サッカー部なみの人気スポーツのはずなのに、このファンタジウム部のスペースだけは何かぽっかりと抜け落ちたように人気がない。
 近寄ろうとしてその理由にようやく気が付いた。
 この周りだけ妙なオーラが発せられているのだ。
 そのオーラの源泉はこの机の後ろに座っている二人。
 小太りでぼさぼさ頭の男と、度の強そうな黒縁眼鏡の女の二人組だ。二人は新部員を勧誘しようとする気も見せずに黙々と雑誌を見ている。
 それとなくその雑誌のタイトルを盗み見る。
 『週刊ファンタジウム』と『月刊廃墟探訪』。
 『週刊ファンタジウム』は男で、『月刊廃墟探訪』は女。
 俺が目の前に来ているっていうのに二人は俺の存在に気が付くこともなく、完全に自分の世界に没頭している。
 どうしようかな。
 俺はこの期に及んで躊躇していた。
 だってここまでやる気がない部活って誰だって入りたくないと思うのは当然だろう。それともこれは偽装か? 新入部員のやる気を試す試験のようなものがすでに始まっているのか?
 そんな下らないことを夢想していたその時、俺の背中に強烈にぶつかってきたヤツがいる。
 「やっと追いついたよ! びっくりした。だって話の途中に突然歩き出すんだもん」
 息せき切って俺の背中にぶつかって来たそいつは三田村。なんだよ。別に着いてこなくてもいいのに。そう思いながら三田村の顔を見る。嬉しそうに目をきらきらさせて俺を不思議そうな表情で見上げている。
 俺は三田村が一瞬犬にダブって見えた。それも好奇心旺盛な子犬。
 三田村は俺とファンタジウム部の看板を見比べて何かに気が付いたように声を挙げた。
 「あ! やっぱりファンタジウムやるんだね! そうかあ。中山君がファンタジウム部に入るんなら僕もやろうかなあ」
 なんだ、その主体性のない部活の決め方は。と思わず突っ込みたくなったが、そこはぐっと堪える。だいたい、こいつとそんなに仲良くなろうなんて思ってないし。
 その時、二つの視線を感じた。
 それは『週刊ファンタジウム』を読んでいた頭ぼさぼさ男と、『月刊廃墟探訪』の黒縁女。さすがに自分たちの目の前でこうごちゃごちゃやっていたらいくら鈍いヤツでも気が付くってもんだ。
 二人は上目遣いで怪訝そうな瞳でじっと俺のことを凝視していた。
 「あ、あの」
 俺はとりあえず、そう言って頭を軽く下げた。
 「なに? まさか入部希望者?」
 ぼさぼさ頭の男はその時になってようやく雑誌を机の上に置いた。
 「珍しいね。ウチに入部希望者なんてさ。決まりだから新入生勧誘会に出したけど、本当はここにも来たくなかったんだよね。な、神崎さん?」
 するとこくりと後ろの黒縁眼鏡が頷いた。手入れすらしていないような黒髪がざわりと揺れる。ちょっと不気味な女だ。
 「あ!」
 いきなり隣の三田村が声を挙げた。
 「それ御園選手でしょ! 背番号二番。アルタイル仙台のホームユニホームですね!」
 三田村はぼさぼさ男の服を指差しながら、つばを飛び散らしながら叫ぶ。
 俺も視線を向ける。男が制服の下に着込んでいる紫色の服がちらりと見えるだけだ。
 だが男は口元をわずかにつり上げると嬉しそうににやついた。
 「へえ! 良く分かったね。もう十年前に引退した選手のユニホームを。さてはキミかなり詳しいね」
 「だって僕、御園選手の大ファンですもん! 感動でしたね、あのワールドカップ初出場が掛かった最終予選! 二つのフェイントを絡めた火炎魔法! もう最高でした!」
 「あの試合は御園雛子(みその ひなこ)ベストバウトの一つだね。でも、それだったら僕は一九八八年の京都クラマーズとの試合も挙げたいね。あの」
 「御園選手一人だけで京都の全選手を倒して大逆転した試合ですね! 僕、知ってます! 伝説の五人抜き! 日本ファンタジウム史上三人しかやったことのない偉業ですよね!」
 「ほお。クラブチームの試合もチェックしていたなんて、これはますますマニアだね。ファンタジウムの試合的には五人全員倒すことも無かったのだろうけど、それは敵に対して戦意を喪失させる効果も生み出す。事実、この年、京都は船橋に対してその後一勝も出来なかったからね」
 ぼさぼさ男はそう言っては満足そうに三田村の肩を叩いた。
 「気に入った! キミの入部を歓迎するよ。キミとはウマが合いそうだ!」
 「はい!」
 ……馬鹿馬鹿しい。
 その状況を横目で見ながらかなり白けていた。そしてどうにかしてこの場から立ち去ろうかな? なんて投げやりな気持ちになりかけていた時、一人の男の接近を察知した。
 なぜ、この新人勧誘の人が溢れる中でその男の気配だけ察知出来たかというと、その男の持つ気配が他とはあまりに異なったからだ。
 俺はゆっくり横を向き、そいつの姿を観察する。
 背格好は俺と同じくらい。上下を麗鳴高校のスクールカラーである桜色のジャージに身を纏っている。今の今まで運動をしていたらしく、そのジャージにはところどころうっすらと汗が滲んでおり、額からもそれは滴り落ちている。印象的なのはその目だ。縁が細い理知的な眼鏡で緩和されているが、その奥にある瞳は飢えた獣のようだった。一言で表せば『狼』。今にも俺の心臓を喰らいつきそうな瞳で俺の瞳を覗き込んでいた。
 もう一つ、最大の特徴。そいつの右足、特に右膝のところのジャージが不格好に膨らんでいた。
 ギブスか?
 事実そいつは右足をわずかに引きずりながら歩を進めていた。
 そいつはしばらく俺のことを凝視した後、すぐに視線を逸らし、ファンタジウム部コーナーまで辿り着く。そして今度は興味がないように傍らの三田村を見下ろす。
 「人数合わせで部員を取ることはねえよ、部長」
 するとぼさぼさ頭の小太り男は肩を竦めて苦笑いをする。
 「でも来る者を拒むわけにもいかないだろ?」
 ギブス男はその言葉に「ふん」と不機嫌そうに鼻を鳴らすと、右足がうまく使えないせいか、ぎこちなく振り返り再びこちらに向かって歩いてくる。そして俺の正面で止まった。
 ギブス男は俺を見据えている。俺はその飢えたような瞳を真正面から見返した。
 向き合っているだけでこいつの力量が分かる。ただ、つっ立っているだけのように見えるがその姿勢は自然体。そこからいつでも攻撃にでも防御にでも移れる体勢だ。
 やがてそいつはふっと気を抜いたように身体を弛緩させた。そして口元に笑みを浮かべる。
 そして再び歩み始めた。俺の真横を通り過ぎようとする。
 そのすり抜けざまにこんなことをぼそっと呟いた。
 「期待してんぜ、新人」
 と。

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