『ファンタジウム!』

作 山下泰昌

第七話 桜庭と中山  


 「というわけで今日はいよいよ魔法の練習をやりましょうか」
 ガキ先公は高らかにそう宣言した。
 「え?」
 基礎トレーニングを終了して軽く息を整えていた俺と、へろへろ状態でグランドにぶっ倒れていた三田村はその言葉に同時に顔を上げる。
 「そう、魔法。中山君、三田村君、攻撃魔法を使ってみたいんでしょ?」
 俺たちは戸惑いつつも首を縦に振る。
 魔法――。
 この世界ではさして珍しい技術じゃないが、それでもきちんとした指導を受け、そして日々の修練がなければ覚えられない特殊技術である。誰もが使える代物じゃない。
 人によってはその技術を無用の長物と吐き捨てる者もいる。確かに魔法で火を起こすのならマッチやライターを使った方が早いし、敵を倒すのなら鉄砲の方が効率的だ。怪我を癒やすのなら、ばんそこうを張り自然の治癒を待った方が無理がない。だけど、人ってやっぱそんな四角四面に合理的に生きているもんじゃない。そういういわゆる『無駄』みたいなものに惹かれるってとこもあると思う。ファンタジウムに熱狂的なファンが付いているのもそういった一面があるのからなんじゃないかな。
 三田村は端から見ていても、それと分かるくらい緊張していた。先公はそんな三田村を見てくすりと笑う。
 「駄目よ、三田村君。肩にそんなに力が入っていると身体の中の『気』の流れが滞っちゃうわ。リラックス、リラックス」
 そう言って肩を回す仕草をする。
 「『気』?」
 俺は聞き慣れない単語が飛び出して来たので思わず問い返した。
 「そう。国によっていろんな呼び方があるけどね。『エナジー』とか『エーテル』とか『プラーナ』とか。でも我々日本や、東アジア地域では『気』と呼んでいるの。分かりやすいでしょ、日常会話にも出てくるし」
 「え?」
 三田村が怪訝な顔をしていると、相変わらず練習もせずにベンチの上ファンタジウム雑誌を入念にチェックしていた木俣部長がすかさず口を挟む。
 「『元気』って言葉があるだろ。これは気の元ってこと。人を動かす原動力ってわけだね」
 「ああ、なるほど!」
 三田村は感心したような面持ちで深く頷いた。その様子を部長は嬉しそうに眺める。
 木俣部長は結局部活に出てきても一切練習をしようとはしなかった。一度「練習しないんすか」と訊いてみたことがある。そうしたら、「僕は観戦専門だから」と自信たっぷりに答えられてしまった。
 確かにそうか。それは個人の自由だろう。ちなみに神崎先輩は今日も休みだ。あの新入生勧誘の日以来、一度も見ていない。
 「それに『気を失う』とかね。『気』がなくなると人は倒れてしまうのよ」
 うん。実に分かりやすい。
 「で、『気』が滞ることは『気が詰まる』。分かった? だからリラックスよ」
 先公は晴れやかに笑った。
 「じゃあ、早速、魔法の呪文を教えましょう。まずは初歩的な『回復魔法』の呪文から。これは簡単な傷を治すときや、身体に受けたダメージをある程度回復する時に使う魔法です。ファンタジウムでは護身の意味も含めて、最初に必ずこれを覚えます。じゃあ、私が先に唱えるから良く聞いてね」
 そう言って先公はなにやら理解不能な言葉を呟いた。
 俺は唖然として、見事にその言葉を訊き損ねる。
 日本語でも英語でもない。知らない言語というのは耳が慣れていないせいもあるのか、覚えるためのポイントがつかめないようだ。
 「駄目? よろしい。もう一度、ゆっくりと唱えるから復唱してみて。行くわよ」
 先公は再び詠唱を始める。先程より倍の遅さで唱える。
 俺は辛うじてそれを復唱する。だが、あくまでも『辛うじて』だ。対して三田村は軽やかにそして完璧にそれを復唱した。それを聞いて俺は少しヘコむ。
 なんだろう。俺って才能無いんだろうか?
 先公は、うーんと唸った。
 「中山君は三音節ほど発音が間違っているわね。呪文における魔法というのは音で方程式を発生させているわけだから、一音節でも間違えると魔法は全く発動しないの。あ、ちなみに私が今、唱えた言葉は『魔法言語』ね。意味なんて全くないわ。ただ、よりよい魔法の発動効率を追求した結果がこの言葉になったの。だから言葉の字面なんて追わないで、身体で覚えること。いいわね」
 「はあ」
 そんなこと言われても自信が無い。なんというか剣の修行とは勝手が違う。戸惑う。
 「あと、別の方法も教えておくわ。『印』ね」
 先公はそう言って両手の指を複雑に絡める。
 「これはさっきの『回復魔法』の呪文と全く同じものよ。形の違いというものは空間の異相を生むの。それが魔法の方程式になるわけね。まあ、風水とか魔法陣とかもその類よ」
 俺は話を訊きながら見よう見まねで印を組む。だが、そのあまりの複雑さのため途中で断念した。
 「印の方は呪文より発動時間が短いという利点があるんだけど、これはほんの少しでも形が崩れると発動しないし、その日によって使える方角が決まっていたりして結構ややこしいのね。だから私としては呪文の方をお勧めするわ」
 そうさせてもらう。呪文も印も同時に覚えるってのは無理そうだ。それに実際試合では、俺は両手には剣を握っている。印は実用性が無い。
 「はい。じゃあこれからさっき私が唱えた呪文を練習しなさい。身体で覚えるまで何度でも復唱すること。それが出来たら私を呼んで。第二段階に移るわ」
 「分かりました」
 三田村はすぐさま呪文の詠唱を繰り返し始めた。俺もわずかに遅れて詠唱を始める。だけど相変わらず、これだっ! て云う手応えがない。
 才能ねえのかな?
 俺はこの日二度目の自問自答を、意志の強さで無理矢理打ち消した。

 「よお、中山。地稽古やらねえか?」
 耳にタコどころかクラーケンが出来そうなくらい同じ文句を繰り返し、いい加減に飽きて来たところ、傍らで素振りをやっていた桜庭さんが俺に声を掛けてきた。
 「いいっすよ」
 願ってもない。今日は魔法練習という新たなメニューが加わったが、このファンタジウム部に入ってからほとんど筋トレやランニングの毎日で、いつになったら剣を使った実戦練習が出来るのか、と思っていたところだ。それにこの桜庭さんとは初めて逢った時から、一度手合わせをしてみたいと思っていた。
 桜庭さんの右足からあの無骨なギブスは消えている。
 三日前、珍しく桜庭さんが練習を休んだと思ったら、その翌日にはこの状態だった。
 桜庭さんは嬉しいのか照れくさいのか、いつも以上にぶっきらぼうで素っ気なく「やっとあの重たいのが取れてよ」とだけ言った。
 それからしばらく自分の右足を確かめるような練習を続けていたが、それで今日に至ってようやくある程度の自信を持ったのだろう。
 もう普通に動かす分には問題のない状態なのだろう。後は実戦ではどの程度動かせるのか。それを確かめたいのだ。
 練習で身体を動かすのと、実際の試合で身体を動かすということは想像以上に違う。
 例えば敵の攻撃を避けるという動きがある。練習では敵がどう打ち込んでくるか、またどの方向から来るかがあらかじめ打ち合わせ済みなので、身体の筋肉、関節などはある程度の予測をしている。だから身体は限界以上の動きをすることは無い。
 だけど、実戦ではその事情が異なってくる。どの程度で、どの方向から、どういう形で敵が攻撃を仕掛けてくるのかは咄嗟の判断に委ねられる。その為に身体の筋肉、関節は想像以上の無理をすることになるのだ。
 練習では痛みが無くとも、試合に出たとたん怪我が再発するというのは、そういうことが理由だ。
 桜庭さんはその辺を確かめたいのだろう。たぶん。
 「いいですか? 先生」
 ちらりと桜庭さんは先公に視線を移す。先公は大きく頷いた。
 「そろそろ勘を取り戻さなくちゃね。でも無理しちゃ駄目よ。膝に違和感があったらすぐに止めなさい」
 桜庭さんは先公の言葉に素直に頷くと肩のカウンターのスイッチを入れた。
 数値はどんどん上がって行き、その表示は『205』で止まる。
 「え?」
 今までファンタジウム雑誌に没頭していた木俣部長がその数値を見て思わず声を上げた。
 「さ、さすが……」
 俺も見よう見まねで肩のカウンターのスイッチを入れる。今まで一応基礎トレーニングの時も練習用Fスーツを着用してやっていたが、スイッチを入れるのは初めてだ。
 とたん、ブンという音がして肩のデジタルカウンターの数字が変化を始めた。身体の周りの空気にも妙な違和感を感じる。何か薄い透明な皮を一枚覆っているような、息苦しさと不自然さ。
 「それはFスーツによる防護膜よ。それによって敵の攻撃を自動的に軽減するの。その代わりダメージは肩のカウンターに如実に表されるわ」
 肩のカウンターが止まった。自分でそれを覗き込むと『185』。くっ、負けた。病み上がりの相手だってのに。
 「よっしゃ行くか」
 桜庭さんはまるでコンビニにでも行くような気軽さでそう言うと、無造作に木刀を正眼に構える。
 俺の顔から余裕が消えた。全身の細胞が警鐘を発する。
 なんだ、この人は。
 正直、これほどの構えは同年代のヤツでは見たことがない。その無造作に構えたはずの木刀の切っ先は物の見事に俺の正中線を捉えている。
 正中線。これは身体の中心線のことで、格闘技に於いてかなり重要なウエイトを占める。
 攻撃も防御もこの正中線を押さえるか押さえないかで、勝敗を左右すると言っても過言ではない。
 普通、木刀は真っ直ぐに構えているつもりでも、わずかに左右にブレるものである。わずかでもいいから左右どちらかにブレてくれたらしめたものだ。どちらかにブレる、ということはどちらかに隙が出来た、ということ。攻めることは容易になる。まあ、これを利用して相手の攻撃を誘うってこともあるけど、それはこの際置いておく。
 だけど、これがブレもせず、真の中心線に木刀をしっかり構えられていると話は別だ。こうなると俺は攻めることが出来ない。攻めるためにはまずその木刀を中心線から外して、逆に相手の中心線を制圧しなくてはならない。苦し紛れに中心線を制圧せずに飛び込んだりしたら、相手の思うツボだ。俺は即座に叩き斬られることになる。
 ……こりゃ、こっちも本気でやらないと。
 俺は木刀をゆっくりと、垂直に立てる。
 そして右肩の辺り、ちょうど顔の右横で構えた。
 「へえ」
 桜庭さんが意外そうな、でも楽しそうな表情でそう呟く。
 この構えの名は八双(はっそう)。
 現代競技剣道では、日本剣道形の中にその姿を残すのみで実際には使われていない、幻の構え。だが、敵を袈裟懸けに一刀両断出来るこの構えは最も実戦的と言われる。
 八双を構えてしっかりと桜庭さんを見据えた俺は、じりじりと右に回りでその隙を誘う。だが桜庭さんも細かい足捌きで体を少しずつ左に入れ替えて行く。
 攻められない。だけど、それはきっと桜庭さんも同じだ。このままではラチが明かない。きっとそう思っている。だって俺だってそう思っているから。何かきっかけがあれば。きっかけが。
 「あ! 先生――」
 ――僕、呪文言えるようになったみたいです。
 空気の読めない三田村のその言葉が引き金となった。
 俺は予備動作なしで、脚の瞬発力に全てを賭けて、桜庭さんの懐に飛び込んだ。
 だが――
 桜庭さんは俺よりも一瞬早く俺の懐に飛び込んでいたのだ。
 驚嘆した。
 なんだ、この踏み込み足は、と。
 これで病み上がりなのか、と。
 体勢を低くして斬りかかった俺より更に低い体勢で桜庭さんは俺を睨み上げる。
 ぞくり、
 と身体全体に怖気が疾った。脳以外のどこかが警鐘を鳴らす。
 やばい。
 この状況はやばい。
 俺の網膜は、桜庭さんが俺の腹を横に薙ぐ動作を起こしているのを映していた。
 避けきれない。
 頭でそう悟るより、先に身体が脊髄反射する。普段の反復練習の賜物ってヤツだ。このときばかりは爺ちゃんの地獄練習に感謝する。
 両足を地から離した。身体の重心が移動し、俺の身体がふうわりと浮く。例えて言うと棒高跳びの背面飛びのような格好だ。
 桜庭さんの轟刀が俺の背中をすれすれに飛んでいく。風圧だけで根こそぎ背中の服や皮が持って行かれたような気がする。火膨れしたように背中がひりひりする。だが、そんな中でも意識だけは妙に落ち着いていた。
 俺はぎりぎりで桜庭さんの攻撃を躱し切ると、そのまま桜庭さんの背後に着地した。着地と同時に振り向きざまの打ち下ろしが来たが、それは予測の範囲内だった。自らの木刀で受け止める。
 すかさず後方に飛び、再び間合いを取る。
 桜庭さんは右足を気にしてか、それ以上追撃してこなかった。互いに向き合い、再び膠着状態に陥る。
 ほんのわずかの攻防だったが、すでに俺の額にはうっすら汗が浮いていた。
 強い。
 改めてそう思った。
 何が強いって純粋に強い。
 構え。打ち込み。判断。スピード。パワー。
 そのどれもが尋常じゃない。すでに高校生のレベルじゃない。正直言って俺より強いと思う。
 だけど――
 ――俺より強い、ということはイコール勝てないということじゃない。弱い相手が強い相手に勝つ方法なんていくらでも、ある。勝負はロジックじゃないのだ。
 「何なんだ、お前は」
 対峙する桜庭さんの表情にわずかに動揺が見える。そりゃそうだ。こんな変則剣術を目の当たりにすれば、それは当然の感想だ。
 だけど、本当言うとここまで手の内を見せるつもりはなかった。
 なぜなら爺ちゃんから受け継いだ俺の剣術は門外不出の剣術。本来なら一般の人間には見せてはいけない代物だからだ。
 見た人間には死を。
 そんな時代錯誤な掟が支配しているのが俺の修めている剣術だ。
 だけど、そんな掟なんかどうでもいいくらい、俺、今わくわくしているんだ。自分の持っている技を最大限に出し切れる相手が今、目の前に居るんだ。今まで人目を避けて修得していたものが全て、ここで使えるんだ。
 闘うことの自由。そして自分より強い相手を叩きのめしたいという純粋な欲求。
 そんなものが今、俺の身体の中を駆け巡っていた。
 「面白ぇ」
 桜庭さんはそんな俺を見て、ぼそりと呟いた。桜庭さんの中で何かが膨れ上がるのを感じる。 へん。ようやく桜庭さんも本気モードらしい。つまり今までは本気ではなかったってわけだ。全く楽しませてくれる人だ。
 次はこっちから行かせてもらう。
 俺は無造作に突っ込んで行った。構えを外し、ノーガードで桜庭さんに向かって歩いていった。一瞬、面食らった表情を見せたがすぐに桜庭さんは俺の喉元辺りに向かって突いて来た。
 だが、次の瞬間俺の姿は桜庭さんの視界から消えることになる。
 俺は瞬間的に身体を伏せたのだ。
 まるで体操選手が見せる柔軟のように、ぺたっと床に這い蹲った。
 こんな避け方は現代剣道には無い。だからとっさに攻撃も出来ないし、対応策も取れない。
 混乱をきたした桜庭の反応に一瞬のタイムラグが生じる。
 だが、闘いに於いて、そのタイムラグは命取りだ。
 俺はその体勢のまま、上目遣いに桜庭さんを睨んだ。
 この体勢からの攻撃など通常はあり得ない。だが、それは飽くまで『通常』だ。俺の剣術にはそれはあるし、だいいち俺は毎日それを練習している。
 『亀篠(かめざさ)』
 それがこの技の名前だ。
 裂帛の気合いと共に俺は下段から思い切り斬り上げた。その常識外れな方向からの攻撃に桜庭さんはあわてて後方に飛ぶ。だが、わずかに遅い。
 かちり、と俺の木刀が桜庭さんの木刀に防がれた音がした。舌打ちをする。なんて格闘センス。あの態勢から木刀で避けたってのか。
 そう驚嘆しながらも次の攻撃への態勢を取ろうとした時、真一文字に俺の腹を何かが薙いできた。
 俺の中の何かが瞬間的に赤信号を発した。だが、俺の腹部を斬ろうとしているその何かを防ぐ為の手だてがない。もはや木刀で防ぐことも間に合わないし、完全に体勢を崩しまくっているこの状態では躱すことも出来ない。
 ……俺は右腕を捨てることにした。
 何かが近づいているその腹部に一番近い場所にある右肘。それを強制的に下げてガード代わりにする。激痛が俺の右肘を襲う。
 ……なんだ。Fスーツ着てても痛いものは痛いんだ。
 俺はそんなどうでもいいような事を考えながら、その右腕のガードごと左方向に吹っ飛ばされる。
 「ストッープ! はい、そこまで! やめやめ!」
 暴風のような攻撃を受けながらも、器用に着地して左手一本で応戦しようとしていた俺と、二の太刀を繰り出そうとしていた桜庭さんの間に先公が割って入った。
 よく、この闘いのさなかに割って入ることが出来たものだ。その勇気にちょっと尊敬する。
 「あんたらねぇ。これは練習なのよ! 互いに本気出してどうすんの。しかも桜庭君、病み上がりでしょ!」
 俺は肩のカウンターを覗き込んで見た。
 『132』
 三十近くも減らされてやがる。きっと最後の右腕のダメージで減少したのだろう。向こうは、桜庭さんはどうだったのだろう。
 桜庭さんは滝のような汗を掻いていた。そしてその肩にあるカウンターの数値は『198』。七減っている。『亀篠』の時だろうか。それにしたって七だ。
 俺ががっくりと肩を落として俯いた時、ゆっくりと桜庭さんが近づいて来た。
 「面白ぇなあ、お前」
 顔を上げてその表情を見る。
 そこには素顔の桜庭さんが居た。嬉しそうで、楽しそうで。そしてそれでいて、少しナイーブそうな表情の桜庭さんが居た。
 ああ。
 俺も何か嬉しくなった。俺の勘は間違ってなかった。この人と剣を交えてみたいって言うその勘は。
 すると桜庭さんは言い難そうに少し照れながらこう言った。
 「いや、初めてお前を見た時からさ、お前と剣を交えて見たかったんだ」

 「帝國学園?」
 「そう。知らないの? 全国随一の強豪校だよ。東東京代表で全国大会春夏連続で六連覇」
 木俣部長が驚いたように言う。しょうがないだろう。俺ファンタジウムはど素人なんだからさ。
 桜庭さんと三田村は今、シャワールームに入っている。根本的に体育系の弱い我が校麗鳴は、体育設備も充実していない。そんなわけで、シャワールームはここ体育館にも二つしかないのだ。俺はそんな待ち時間を利用して部長に桜庭さんのことを訊いた。
 「桜庭はそんな帝國学院に鳴り物入りの入部だったんだよ。そしてそこの幻闘部で一年でレギュラーだったんだ」
 「そうですか」
 「『そうですか』って君、そのことの物凄さを分かっていないね。帝國学園の幻闘部は部員だけで百人いるんだ。でも、ファンタジウムのプレイヤー人数は五人。ということはどういうことかというと二十軍まであるということなんだよ。そういう部活で例え一年で有望な選手が入ったとしてもいきなり一軍まで引き上げられることはまずない。なぜなら同じくらいの能力なら二年、三年が先に使われるからね。そこでいきなり一年がレギュラーだ。これはどういうことか分かる?」
 「つまり他の二年、三年と比べるまでもなく能力がずば抜けていた、ということですか」
 「正解」
 部長は人差し指を突き出して俺の心臓を打ち抜くような仕草をした。
 「帝國学園時代は『疾風』の二つ名を欲しいままにしていたんだ。いきなり間合いを詰める瞬発力は群を抜いていたね。そして暴風のようなその剣技。桜庭の加入で帝國学園の牙城はあと三年は安泰だって言われていたんだ」
 「高校の試合までチェックしているんだ」
 俺は呆れた声を上げる。だが部長はそれを賞賛として取ったらしい。
 「当然さ。未来のスター選手は逐一チェックしなくちゃならない。で、話は戻るよ。秋の新人戦の直後、ええとつまり去年の十一月くらいかな? 桜庭は原因不明の事故に遭った。桜庭自身は何も語らないからで分からないけど、僕らは上級生に闇討ちに遭ったんじゃないかって噂しているよ。それで右膝を複雑骨折した桜庭はその自慢の瞬発力を消されてレギュラーから外された。そして退学した」
 「どうして? 退学まですることは無いんじゃない?」
 「桜庭は帝國に幻闘技で推薦入学したからさ。普通科に転入するということも選択肢としてはあったのだろうけど、同じ学校に居たくはなかったんだろうね」
 「……それで、麗鳴に来たんですね」
 「そう。でも、なんでこんな無名校に来たんだろうね? どうせなら強豪校に行けば良かったのに。例えば国立船橋高校とかね。だっていくら桜庭が強いって言ってもチームメイトがいなくちゃ何にも出来ないもんね、ファンタジウムは、さ」
 部長は練習すらしない自分のことを棚に置いてそんなことを嘯く。
 そうか。それであの常識はずれの剣技の理由が納得行く。そして右膝の故障が治って本当に良かったと思う。あの剣技が怪我ごときで埋もれるようなことがあったらそれは日本ファンタジウム界の損失だ。
 「そう言えば国船のファンタジウム部には今年も有望なのが入ったんだよなあ。全中を制した真栄田とか、中学最強の火炎魔法術師美作とかね。でもこのキマタさん情報によると美作はどうやらあまりチームになじんでいないみたいだね」
 部長はすでに桜庭さんの話が終わっているのに、ひたすら関係ない話を続ける。どうも独り言のように話しているから返事を求めているわけでも無いらしい。
 「ま、国船にはすでに火炎魔法術師としては館山が居るから、いくら美作が飛び抜けているって言っても、レギュラー獲るのは来年以降だね。それまで、どう成長するかが楽しみだ。あと、真栄田と一緒の中学の高岡も注目株かな。それと――」
 ひたすら続く部長の蘊蓄を適当に聞き流して、俺はぼおっと考えていた。
 そう、桜庭さんのあの実力なら、例え怪我をしていると言ってもあらゆる強豪校から引く手あまただったろう。それなのに、なぜ、こんなフルメンバーも揃わないような弱小校に転校して来たんだろう。
 ひょっとして、ファンタジウムを辞めるつもりだったんですか? それとも何か別の理由があったんですか。
 今し方タオルを被ってシャワールームから出てきた桜庭さんに心の中で問い掛けた。そして何かその手がかりが無いかと、その身体をじっと観察した。
 だけど、右膝に無惨に刻まれた手術痕だけがその事故の物々しさを語ってくれるだけで、その身体からは何にも読み取れなかった。
 当たり前か。
 俺はそれっきり、そのことを考えるのは止め、桜庭さんが出た後のシャワールームに入っていった。
  

第八話

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