『ファンタジウム!』

作 山下泰昌

第八話 火炎×火炎 


 「しっかし、梓の無鉄砲さには、ほとほと呆れるわぁ」
 身体中のそこかしこにバンソウコウを張りまくった私の身体を見て、涼子は言う。
 あいてて。
 しかし、我ながら良くこんな無茶をしたと思う。
 館山先輩に喧嘩を売るなんて――

 「はあ?」
 私のその呼びかけに、館山先輩は眉をしかめて振り返った。館山先輩はちょうどFコート脇に設置されているベンチに腰掛け、足首のテーピングを外しているところだった。
 ここのところ、三年と一年は練習も試合も別メニューだったので、全く接触する機会がなかったんだけど、今日は久しぶりに合同練習だったので、遭遇する機会が出来たのだ。
 ロンゲで銀髪の館山先輩は外見も怖いが、中身もその通りに怖い。話し掛けるだけでもビビりまくる。だけど、こんなチャンスは六月の大会までもう二度と来ないだろう。私はありったけの勇気を振り絞ってもう一度言った。
 「先輩、私と勝負しませんか?」と。
 私のその言葉に、練習も終わり、掃除や後かたづけをしていた辺り一同はしん、と静まり返った。
 そこは触れてはいけない領域だ、タブーだ、アンタッチャブルだ!
 声には出さねど、みんなの顔にはそう書いてあった。だが、そんなことは知ったこっちゃない。 
 現在、私は国船新一年生にしては特例の四軍に在籍している。
 入部初日、結局、路木主将は私の態度を激しく叱責しながらも、タマちゃん先輩の五軍との入れ替えは黙認した。そして「新一年の中で自信があるものは他に居るか」とまで言ったのだ。当然出てくるかと思った真栄田は黙したままだった。
 ふん。このいいコちゃんめ。
 その後、私は月末の交流戦でもワンランクアップして四軍に昇格して、現在に至っている。
 だけど、このまま交流戦でワンランクずつアップしていったとしても、六月の大会の時には良くても私は三軍。到底、レギュラー陣、スタメン陣に食い込むことは出来ない。それなら、もういきなりトップにぶつかってやろう! と思ったわけ。思い立ったが吉日、私は速攻行動に移したのだ。
 それにのぞみさんも言ってた。「もし自分がかなわないな、と思った人が居たらその人に何度も何度も挑戦すること」って。だから私は館山先輩に挑戦状を叩き付けたんだ。

 「もう一回言ってみ?」
 顔だけこちらを振り向きながら、そう言う館山先輩の眼は中空を泳いでいる。この人はいつもこんな感じだ。年がら年中イっているようで恐怖を感じる。
 「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、先輩」
 突然、誰かが私と館山先輩の間に割って入った。
 でかいガタイに可愛らしい顔。
 一瞬で分かった。タマちゃん先輩だった。
 「すいません、こいつ悪気は無いんです。こいつには後でしっかりと言っておきますから、どうかこの場は」
 タマちゃん先輩はそう言って私の頭を押さえつける。
 ああ、もう! なんて余計なことをしてくれんのっ!
 せっかく勇気を出してこの大チャンスを作り出したってのに!
 私はタマちゃん先輩の手を払いのけて、館山先輩の方に一歩踏み出した。
 「ですから! 私とですね……」
 とたん、私の第六感が警報を鳴らした。
 全身のバネを利かせて後方に身を投げ出す。
 一秒もしなかったと思う。今まで私が存在していた場所の床が、爆弾でも弾けたように四散した。当然のことながらタマちゃん先輩も吹っ飛んだが、そんなことに気を回す余裕もない。
 どうして? だとか、勝負してくれるんですか? とか会話を交わす間もない。問答無用の先制攻撃。私は攻撃を避けながら対抗する為の攻撃呪文を唱えるはめになる。だが、すでに館山先輩の次の呪文詠唱が終了していた。
 まずい。
 完璧に後手、後手だ。先制攻撃は私の専売特許だったのにぃ!
 館山先輩の眼前に突如出現した巨大な火の弾が、とんでもないスピードで飛来する。
 単純な呪文だが、そのスピード、大きさ、正確さのどれを取っても規格外だ。
 それに、この後ろに身を投げ出して完全にバランスを崩した状態では右にも左にも逃れることが出来ない。
 決めた! 覚悟を決めた!
 この攻撃、喰らってやる!
 だけど、みすみす直撃を喰らってやるつもりは無い。
 私はわずかに身体を半身にしてその巨大な火の玉を受け流した。肩のカウンターの数字が急激にその数を減らし、『58』となる。練習直後だったので、Fスーツのスイッチが入っていたのが、幸いだった。もしこれがFスーツの防御能力無しで受けていたら、私は大火傷を負っている。
 だけど、その攻撃をまともに避けようとしなかったことが、私の次の攻撃の布石となった。攻撃呪文を唱え終わった直後の館山先輩は次の呪文を唱えることも出来ずに隙だらけだった。防御の印も組んでいない。ガードもガラ空きだ。
 対する私の攻撃呪文は館山先輩の魔法を喰らいながらも、とうの昔に唱え終わっている。
 勝機!
 私は右腕を横に滑らせて、空間を真一文字に斬り裂いた。
 腕が通り過ぎた後、まるでひび割れた大地から水が染み出すかのように炎が沸き立つ。
 私は下腹に溜めていた気をその時に爆発させた。とたん、その炎の刃は館山先輩に向かって勢い良く空間を滑っていく。
 館山先輩の火炎魔法にも勝るとも劣らない威力とスピードだ。自画自賛!
 イケる!
 私は勝利を確信した――とまでは行かないまでも、次の一手のための攻撃としては成功したと思った。私はすかさず次なる攻撃呪文を準備する。これでチェックメイトだ。いくら館山先輩でも防御もカウンターも間に合わないはずだった。
 その時だ。
 完璧予想外だった。ううん、相手の性格を考えれば当然、それは想定内のことだったんだろうけど、今までそんな行動を取った対戦相手がいなかったのだ。単純に言えば私の経験不足、そして頭の固さが原因だ。
 館山先輩は私のその攻撃を避けなかった。いや、正確に言うと受け流した。
 私と同じ事をしたのだ。
 館山先輩のFスーツにはスイッチが入っていない。肩のカウンターには何も表示されていない。つまり火炎のダメージをまともにその身体に受けることになる。
 当然、防御機構が働いていないFスーツは私の火炎魔法に沿って焼け焦げる。繊維が焼ける匂いがツンと鼻孔を刺激する。
 相当の痛みを負っているはずだ。だが、館山先輩はそんなことには意を介さずに私との間合いを一気に詰めた。胸元が焼け焦げているのに、あの、眼の焦点が合っていない目つきのまま口元に笑みを浮かべていた。
 私は呪文を唱えることも忘れていた。長いファンタジウム人生の中でこんなことは初めてだ。闘いのさなかに我を忘れるなんて。
 いつの間にか館山先輩の右掌が私の腹部に当てられていた。館山先輩の左手が印を結んでいる。
 しまっ

 ……で、今に至ると。
 お察しの通り、その後さんざん路木主将に怒られたさ。
 ほとんど呆れ気味だったけどね。
 私に勝利した館山先輩は胸に受けた火傷の治療もそこそこに上機嫌で帰っていった。うん、あの人はやっぱり頭の回線が何本か切れている。
 ま、ただ納得行った。私が一軍に行くには、まだ力不足だったというわけだ。それが分かっただけすっきりした。
 「つまり一軍に上がるには、頭の回線がプッツンしてなければいけないってわけよ」
 「反省した点はそこなのぉ?」
 すかさず涼子は突っ込んだ。突っ込みを入れる時でも相変わらずほけらーっとしたボケた表情の涼子の髪は夜風に軽く揺れている。
 私達は練習が終わってとっぷりと日が暮れた路を、帰途に付いていた。
 全国津々浦々から推薦で引っ張られて来た私たちは国立船橋高校幻闘部の寮で寝泊まりしている。寮は学校の敷地から歩いて十五分のところにある。
 涼子と同部屋である私は練習後、良く一緒に帰ってる。
 でも、一緒に帰っているのは同部屋だからという理由だけでは無い。最近、涼子となんとなく仲が良いせいもある。
 天然の涼子は私に対する気遣いや、遠慮なんてものが全く無いので、もの凄く付き合いやすいのかも知れない。実際一緒に居てもの凄く居心地が良い。
 「梓ぁー。途中でコンビニ寄ってかない?」
 涼子が突然言った。
 「別にいいけど?」
 コンビニは学校と寮を結んだ直線上をちょっと北に歩いたところにある。寄ったからと言って苦にもならない。私も立ち読みしたい週刊誌があったし。
 「お菓子買い込んで行こうよぉー」
 「あんたね、仮にもスポーツ選手なんだから、食べる物をもう少し気を使おうよ」
 私はうんざりした表情で肩を竦めた。
 涼子のお菓子の食べ方は尋常じゃない。ポテトチップとかチョコスナックとかほっとくと寝るまで食べ続ける。良くあの食べ方で体重が増えないもんだ。
 ちなみに私は間食はしないことにしている。炭酸ジュースも飲まない。仮に摂取するとしてもそれは必ずフルーツジュース。体重ももちろんだけど、体質にも気を使っている。ケガしにくい身体を作るためだ。トップを目指す、プロを目指すとはそういうことだ。たぶん、路木主将や、あの館山先輩だってそういう気遣いはしていると思う。
 その時、涼子のカバンの中から振動音と共に何やらくぐもった音が聞こえてきた。
 「あ、電話だ」
 涼子はカバンのジッパーを開けて、中から携帯電話を取り出す。遮蔽物がなくなり、音がクリアになる。
 ……着メロはミスターマリックの登場テーマだった。
 相変わらず、涼子という人間が掴めない。涼子は着信画面を見て、わずかに顔色を変える。
 「……ごめーん。先に行っていて」
 私は涼子のその言葉に小首を傾げる。なんだろう。私に会話を聞かれたくない相手なんだろうか? 
 ! ああ、そうか!
 「彼氏かぁ? 涼子!」
 「違うよぉー」
 涼子はそう冗談めかして否定した。だけど、その顔は笑っていない。せっぱ詰まっているような表情にも見える。何か苦しそうな、そんな感じ。
 私は少し心配になった。
 「どうしたの、涼子」
 「大丈夫。兄貴からメール。すぐ返事しなくちゃいけないんだ」
 着メロはすでに止まっていた。涼子は携帯を持ったまま、私の顔をじっと見ている。早く私にこの場から移動して欲しい、そんな表情。
 ……まあ、家族の会話だ。他人に訊かれたくないこともあるだろう。私は頷いた。
 「分かった。じゃあ、先に行っているね。コンビニで待っているよ」
 「うん。それじゃ」
 私が離れたのを見計らって、涼子はどこかに電話を掛ける。『どこか』じゃないか。兄貴って言ってたな。
 ……本当かな? やっぱ彼氏じゃないのかな? それで彼氏と上手く行ってないから、あんな表情したとか。
 そう、あの態度は何か不自然。普段の脳天気な涼子とは違っていた。
 しばらく歩いて距離を取ってから涼子の方を振り返る。
 涼子は電柱の陰で携帯を耳に当てている。
 俯いている。
 何か苦しそう。
 近くに行ってあげた方が良いんだろうか。……いや、それは余計なおせっかいというものだろう。涼子は『行ってくれ』と言った。それに私は気の使わない涼子が好きなんだ。その私が涼子に対して変に気を回すというのは、おかしいと思う。
 だけど。
 だけど、気に留めておこう。
 涼子には気に病むほどの相手から電話が掛かってくることがある。
 それを気に留めておこう。
 そして、涼子に相談を受けたら、救いを求められたら、私はそれに応じてあげたいと思う。
 助けてあげたいと思う。
 だから今は何も考えない。
 その時、全身全霊で対処してあげるために、今は何も考えない。
 そういうことにした。

第九話

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