作 山下泰昌
第九話 葛
至近距離にいなければ話し声さえ聞こえない大音響のBGM。
薄暗い店内。怪しげなイルミネーション。立ちこめるタバコの煙。
どこだよ、ここ。
俺はおよそ高校生には似つかわしくない雰囲気の店に足を踏み入れて戸惑っていた。しかも学校の制服のままだ。先公や警察、補導員に見つかったら一発補導は間違いない。
目を凝らして薄暗い店内を観察する。ごつい身体の黒人。身体をくねらして嬌声をあげる色っぽい姉ちゃん。アルコールで視線が定まらない酔っぱらいども。
そいつらは学生服の俺たちを見て小莫迦にしたような笑いを向ける。
ウゼぇな、そんなことは分かってんだよ。
俺は心の中でそいつらに悪態を吐きながら、改めて店内をぐるりと見回す。
……これが、クラブってヤツか。
正直、初めてこんな店に入った。内心かなり動揺している。だけど、表面上はそんな様子を見せないように務めた。その代わり俺の視線は、無言で前を歩いている男に注がれる。
でかい男だった。身長百七十八センチある俺の目線より頭が上にある。百九十センチくらいあるんじゃないだろうか。顔は無表情。ターミネーターのシュワルツネッガーを日本人の顔つきにしたような感じをイメージしてくれれば、ぴたりと来るかも知れない。
Tシャツ越しに見える肩の筋肉はいい感じに盛り上がっている。気配といい体つきといい油断できないヤツだ。
そいつは後から付いていく俺たちのことなど気にせずにどんどん店の奥に進んで行く。
俺たち――。
そう、俺の後ろには同じく学生服の三田村と木俣部長が続いていた。
今にも小便でもチビりそうなくらいにビビっている三田村と比べて、木俣部長は興味津々なのか瞳をきらきらさせている。意外に堂々としている。ちょっと部長のことを見直した。部長の格付けランキングが第51位から30位に一気にランクアップする。
三田村と部長の後ろには更に一人の男が付いてきていて、俺たちが逃げ出さないようにガードしていた。
茶髪のヤサ男。だけど、その岩のような重量感のある視線が、ただものじゃないと感じさせる。
二人に共通しているのは、もう何だかんだで見慣れたその黒っぽい『葛』のチームジャケット。
俺たち三人は部活が終わった後の下校中、この二人に挟まれた。
この前、コンビニで遭遇した四人組とは段違いのオーラを持った二人は、一言だけぼそりと呟いた。「付いてこい」とだけ。
かなり『ヤル』二人だとは思ったが、『勝てない』とは思わなかった。『苦戦』はするだろうな、とは思ったけどね。だけど、三田村、部長という足手まといな二人が居たせいで迂闊に手出しは出来なかった。戦闘になれば相手のどちらかに痛手を負わすことは出来たと思うが、その間に確実に三田村か部長のどちらかは倒されちまうだろう。二人を人質にとられたようなもんだ。桜庭さんが居ればどうにかなったと思うけど、術後の定期検診だとかで、今日は部活には出ていなかった。つまり俺はヤツらの言うとおりにするしかなかったって訳だ。
それで連れてこられたのが、このクラブ。
デカ男はその最奥部まで無言で突き進む。
ようやくこの薄暗い店内にも、目を刺す光線にも慣れてきて、俺たちが案内されるその行く先の詳細が徐々に鮮明になる。
こじんまりとしたテーブル席の奥に陣取っているのは、どこかで見た顔と体格の男だった。
ちびっこい体躯にヘビのような目。
ヤツだ。
その隣にはガングロ金髪のギャル系女が座っている。ただ、ここに来るまで見た男どもに嬌声を上げているアルコールまみれの女どもとは違う、一線を画した雰囲気を感じ取れた。それは多分、その視線、その物腰。『葛』のジャケットは羽織っていないが、こいつも間違いなく『ヤル』ヤツだ。
やがてその両側に俺たちを挟んでいたデカ男と茶髪男が付き、そのソファに座る。どいつもこいつも、いつでも攻撃が仕掛けられるようなオーラを身に纏っていた。
「凄い」
俺のすぐ後ろで部長が興奮の面持ちでそう洩らした。
「なにが?」
「初めて見た。『葛』本隊だ」
『葛』本隊?
俺がそう問い返そうとした時、チビ男が言葉を挟んだ。
「あんたら『公式』の中にも俺らのことを知っているヤツがいるとはな」
チビ男はそう言って俺の目を睨み付けた。
初めて会った時にも感じた、チロチロと人の心を逆撫でするようなヘビのような視線を俺に浴びせながら。
「また、会ったな」
「てめえらに連れてこられたからだろ」
俺はそう言って、ヤツの目の前のソファにどすんと腰を下ろした。三田村と部長もあわててそれに続く。
三田村は、所在なさ気に身体を小さくさせている。慌ただしく視線を回りに走らせ、そしてそれは一所に留まることを知らない。視線を落ち着かせることが怖いんだと思う。気持ちは分かる。俺も内心はドキドキもんだ。
対して部長は深々とソファに腰を下ろすと、自分の目の前に居る四人をじっくりと観察していた。そして喜々として俺の耳元で自分の知識をひけらかし始めた。
「『葛』っていうストリート・ファンタジウムチームは好戦的でね。次々と他のチームと闘ってそのチームを己の傘下にして行くといった吸収型なんだ。もともと東京の池袋がその本拠地なんだけど、そんなこんなで次第に勢力範囲を広げて来てね。とうとうこのC県までその触手を伸ばして来たんだ。で、各チームを吸収して膨れ上がった構成メンバーの精鋭を引き上げて作っているトップチームが『葛』本隊。その実力は全国大会出場高校クラスに匹敵するって言われているんだよ」
部長はその本人たちが目の前に居るっていうのに、臆せず、というか何も考えていないのか、そうあっけらかんと話す。間違いなく後者だとは思うけど。
まあ、いいや。そのおかげでものすごーく事情が理解出来た。
「良く知っているな」
チビ男はそう言って、部長を一瞥する。別に誉めているわけでもないようだ。部長もそれに対して答えなかった。分かっているんだろう。
「本題に入ろう」
チビ男はここに来た時に見た同じ表情、態度のまま、いきなりそう切り出す。俺は静かにチビ男の顔を見据える。
「あの火炎遣いの女をこちらに引き渡して欲しい」
「は?」
あまりに訳の分からない言葉が吐き出されたせいで、一瞬頭の回線がスパークした。
『火炎』の『女』を『引き渡す』?
なんだ、それ?
そもそも『火炎』の『女』って誰だ……あ……
徐々にその言葉が頭の中で繋がり出す。
『火炎魔法術師』のあの『赤いリボンの娘』を俺と同じ仲間だと思って、『こちらに引き渡して欲しい』と。
そういうことか。
ちょっとカチンと来る。同時に腹も据わる。とりあえず、知っていようが、いまいが男として、惚れた女を売るようなマネはするつもりは無い。
俺はそのねちっこい視線を真っ向から受け止めた。
「そっちの兄ちゃんが言った通り」
チビ男はそこで一度言葉を切ると、手元にあるコップの液体を氷ごと口に含んだ。
「俺たちは他チームを圧倒的な力でねじ伏せることによって、そのシマを広げてきたチームだ。そして、ねじ伏せたヤツらを吸収して、でかくなってきた。だから一度でも『負けた』ってことがあっちゃなんねえんだ」
硬質の破壊音がチビ男の口の中から響いた。氷が噛み砕かれたんだろう。
「例えそれが正式な勝負でなくても、負けたのが末端のヤツらでも、だ。『負けた』っていう噂が広まると、敵対するチームどもは俺たちのことをナメ出す。団員たちの規律は乱れる」
噂、ね。
俺は心の中でそう独りごちた。
なるほど、ヤツらの中ではそれは事実ではないんだ。飽くまで噂、って訳だ。
「だから事実無根の噂は否定しておかなくてはいけない。『負けた』のではないということを証明しなくちゃあいけねえんだ」
……。
次第にその身勝手な言い分に腹が立ってきた。
つまり、あれか。
あの赤いリボンの娘を呼び出して、衆目の面前で徹底的に叩きのめして、『負けた』事実を否定させようってことか。
「そう、怖い顔すんなよ」
余程、感情が表情に出ていたのだろうか。チビ男は苦笑していた。
「まあ、それは最悪の場合だ。実は譲歩案が、ある」
含みのある視線が俺に注がれる。俺は次の言葉を待った。
「あの火炎魔法術師の女とお前、『葛』に入れ」
……。
本日二回目の思考停止。だが活動再開を待つこともなくチビ男は話を続ける。
「てめえらなら確実『葛』本隊候補だ」
俺は心を落ち着けて、そして頭を整理する。
「……つまり同じチーム内なら『勝負に負けた』ってことじゃなくて『単なる仲間内のいざこざ』になるからって訳か」
チビ男は俺の言葉に肯定するでも無く、否定するでも無く、何を楽しいのかその顔に満面の笑みを浮かべてソファの背もたれにその身を委ねる。
すると、
「こんなヤツらいらないよう」
と急にチビ男のとなりにいたギャル女が口を開いた。
「『葛』本隊メンバーはとっくに埋まっているもん。仮にこいつらが入って来ても私ツブしちゃうよう? それでもいい?」
「勝手にしろ。それこそ『仲間内のいざこざ』だ」
「でもさあ、その時になってツブすんなら、今ツブしても同じだよう」
女は手元にあった毒々しい色のドリンクをストローで啜りながら上目遣いで俺を見上げる。ねっとりとした視線が何か猫の舌を思わせた。
はっきり言って俺の怒りはすでに臨界点に到達していた。よくまあ、今の今まで手を出さないで自制していたのか不思議でならないくらいだ。自分を誉めてあげたい。
俺は女との距離を目算する。女とはテーブルを挟んでわずか五十センチ程度。どちらからでも、いつでも攻撃を当てられる距離だ。そしてそれは互いに致命傷になるに違いない。どっちが先に攻撃を出すかがポイントになる。
俺は両の脚にほんの少しだけ力を込め、腰を浮かせ気味にする。と、その時だ。
「申し訳ないけど、その『火炎魔法術師の女』ってのは僕たちの仲間じゃないよ」
俺の隣から急に声が響いてきて驚いた。
部長だった。
『葛』のヤツらもまさか俺以外のヤツが発言するとは思っていなかったようだ。わずかに目を見開いて、この状況に対応をしかねている。
「調べてくれれば分かると思うけど、我が麗鳴ファンタジウム部には火炎魔法術師はいない。攻撃魔法術師はここに居る彼だけだ」
そう言って部長は三田村に視線を移した。
全員の視線が自分一人に集まって三田村は「ひっ」と小さく声を上げる。
「ウチの部活にはここに居る三名とあと剣術士が一人、そして幽霊部員の防御魔法術師一人の計五名だ。だから君たちが言うその火炎魔法術師はウチにはいない。逆にそんな逸材が居たらウチに欲しいくらいだね」
「……本当なのか」
チビ男の視線が部長と俺の間で不穏に行き来する。
「本当だよ。嘘だと思うのなら、明日ウチの学校に来て、部活名簿でも何でも見ればいい。本当だってことが分かるから。もしそう誤解される何かがあるのなら、彼がその火炎魔法術師の女とたまたま同じ場所に居合わせたってだけなんじゃないかな?」
部長は隣の俺に視線を移す。
部長、なかなか考えているな、と思った。さっきから実名は一つも出していない。麗鳴のメンバー構成にしても、三田村や俺の名前すらも伏せて話すようにしている。確かに学校がバレているんだからそこで名前まで分かってしまえば、調べようと思えばかなりのプライベート情報を探り出すことが出来る。なるほど、敵に与える情報は少なければ少ない方が良い。ファンタジウムは情報戦って訳だ。
「その通りだよ」
俺は吐き出すように言った。
「実はあの火炎魔法術師の女とはあの日しか会っていない。名前も学校も知らない。赤の他人だ」
チビ男はしばらく俺の目を探るように覗き込んでいた。そして自分の中に沈み込むように一度目を伏せる。
「……嘘は言ってねえようだな」
チビ男は深くため息を吐くと、あきらめたように首を横に振った。
「振り出しに戻ったって訳か」
『葛』側のメンバーは基本的に無表情だ。だが、その空間に白けた空気が漂ったことだけは感じた。俺も居心地が悪くなる。退くのならここしかない。
「んじゃ、帰るぜ」
俺はそう言って立ち上がる。それに合わせて部長と三田村もあわてて立ち上がった。チビ男は何も言わなかった。目を瞑って何かを考えていただけだ。俺はそれを了承と取った。
俺はヤツらに背を向けて歩き出す。そのとたん、俺の背中に声が掛けられた。
「中山。てめえの入隊はあきらめた訳じゃねえからな」
……俺の名前、知ってやがる。
俺は一度足を止めただけで、その後一度も振り返らないで店外へ出た。
外は完璧に夜だった。
「あの小さい男は『葛』の副リーダーの猪名川だね。猪名川喬(いながわ きょう)。『葛』創設の時からいるオリジナルメンバーだ。隣に居た女は渋谷のS.F.(ストリート・ファンタジウム)チームだった元『アッシュ』の黒津まいこ。ああ、見えても実は凄腕の剣術士なんだよ」
駅までの道すがら、部長の蘊蓄が滔々と流れる。
俺は少し呆れ気味でその口上を聞き流す。
俺たちはヤツらのたむろして居たクラブから脱出して、早々に賑やか大通りに飛び出した。人気の無い裏通りは何をされるか分からない。逃げたわけじゃない。足手まといが二人も居るんだ。一種の自衛策だ。
「……部長ってストリートも詳しいんだ」
三田村が呆れたようにそう言うと部長はそれを称賛と取ったらしく更に勢い込んで解説し出した。
「うん! ストリートと言えどもどこに未来のスタープレイヤーが隠れているか分からないからね! で、背の高い男が居たろう? あれは『トゥラーダ』というチームに居た風間だね。もの凄い豪剣の使い手だよ。茶髪のヤツは、あれは分からないなあ。最近加わったメンバーなのかなあ?」
部長の解説を適当に聞き流しながら俺は考えていた。
ヤツらはあの娘を探していたんだ。それもかなり性急に。
遠からず、ヤツらは彼女を捜し出すだろう。そして危害を加えるに違いない。あいつらより先に彼女を捜し出さなくちゃいけない。そして危険が迫っていることを伝えてやらなくちゃ。守ってあげなくちゃ。
でも、それにはどうやって?
俺には分からない。俺には考えつかない。どうやってこの広い世界から一人の女の子を捜し出したらいいのか。
「だけど、その『火炎魔法術師の女』って一体どんなファンタズマなんだろうね? 『葛』が本隊のメンバーに加えてもいいって言うくらいだから余程の実力の持ち主なんだろうな。それほどの実力の持ち主ならまず間違いなくどこかの選手だろう。ストリートのヤツらが見つけられないのならストリート・チームじゃない。ということはどこかのユース・チームか高校の選手ってことだね。だけど、このキマタさんの情報網にも引っかかっていないということは、ユース・チームってことは無いな。まだ公式戦に出ていない高校の新メンバーである可能性が高いな。しかもそう易々とレギュラーメンバーになれないような有力校の」
このときほど部長を尊敬したことは無い。俺の中の格付けランキングで一躍部長がベストテン圏内に食い込んだ。
「その新人をチェックするにはどうしたら良いんすかね!」
俺は口角泡を飛ばして部長に質問した。部長はそんな俺にも戸惑うことなく、さっきからと全く同じペースで解説する。
「一番良いのは秋の新人戦でチェックすることだよ。今まで三年の陰に隠れていた二年、新一年が次々にそのベールを脱ぐ時だ」
がっくりと肩を落とした。秋まで待つ、なんてそんな悠長なことを言ってられない。ヤツらの組織力から考えればそれは、たぶん、ここ一、二週間の勝負だ。
せっかく盛り上がったモチベーションが思いっきりダウンする。部長のランキングをベストテンに加えて損した。ベスト30以内くらいに下降修正しておこう。
「でも、もう一つ方法はあるといえばある」
「え?」
「ゴールデンウイークに毎年東京の帝國学園が全国大会の有力校のレギュラーメンバー以外を対象に、大きな練習試合を開くんだ。控えの選手にも実戦を体験させようという考えのもと開かれる練習試合だね。そこなら何か分かるかも知れない」
「それに出ればいいんだ!」
「ウチが? 麗鳴がその練習試合に潜り込むって? 無理無理。そこに出場するには少なくとも県大会ベスト4並の実績か、もしくは強力なコネが無いとね」
「じゃあ、どこかの有力校と練習試合組んでさ、それでそこをぶっ倒して、実績作って――」
「駄目だって。練習試合程度で倒しても他校からは認められないよ。公式戦で成績を残さないと」
とすると残りは強力なコネ、か。でもそんなものは考えつかない。考えてみればそれは当然だ。だって、公式戦に出場すら危ぶまれるチームにそんな大それたコネなんかあるもんか。
とすると次なる手は潜入か。その練習会場に関係者のフリして忍び込めばいい。別に非公開試合ってわけじゃないし、同じ高校生だからそれは割と難しくないんじゃないか?
俺がそんな良からぬ算段をしていた時、突然、部長が口を開いた。
「ん、待てよ。コネが無い、ってことも無いか……」
「え?」
俺と三田村が同時に声を上げる。
「……ひょっとしたら。いや、待てよ。あ、でも……やるだけやって見ても……出来るか」
「なんですか、部長。そのコネって?」
すると部長は何か悪巧みをしているような表情で小さくほくそ笑んだ。
「確実性は無いけどね。もし昔のコネがまだ残っているようなら、それは可能かも知れない。明日学校行ったら、ちょっとやってみるよ、うん」