第 4回はまた雨になってしまった。今年の冬はなかなか天候が定まらない。まずは、傘を差して相模川の橋脚へ。大正12(1923)年9月 関東大震災の時、水田の中から7本の丸太が地上に浮き出てきたとのこと。専門家の鑑定によれば、1198(鎌倉時代・建久9)年、源頼朝の家来の稲毛重成が亡き妻(北条政子の妹)の供養のため、相模川に架けた橋の一部だそうな。直径約60センチの檜(ひのき)の丸材で、橋の幅は約7メートルあったと推測され、当時、全国有数の大橋であったと思われる。

橋脚のある池面を冬の雨がたたく


 天気の悪いときは雨宿りをかねて博物館へ。「平塚市博物館」は「相模川流域の自然と文化」をテーマに古民家や漁具、農具が保存されている。

平塚市博物館

ミノル式イネコキ


 同じく博物館にあった石碑の1枚。「見ざる・聞かざる・言わざる」は日光だけではないようだ。「川の石・海の石」と名づけられたコーナーに展示されている。石仏には、丹沢産の凝灰岩類や真鶴産の安山岩類が主に利用されていた とのこと。

「見ざる・聞かざる・言わざる」


 1号線に面して平塚八幡宮がある。昔鶴峯山八幡宮といわれ仁徳天皇の68年この地方に大地震があり、人民の苦難のさまを聞召した天皇が詔して応神天皇をお祀りしたのが創祀という。

平塚八幡宮


 毎回東海道を歩く楽しみは、その日の昼食だ。今回は「車屋」さんの天麩羅だった。おおきな海老が3尾、なかなかのもの。店の前には大きな水車が回っている。

車屋の店先


 大磯「船着山地福寺」は承和4年(837年)の創建と伝えられ、地福寺の末寺である旧円城院の無縁仏を万霊塔として祀っている。境内には「破戒」などで知られる島崎藤村の墓が、傍らには妻静子の墓がある。


境内に並ぶ無数の石仏


 大磯「鴫立庵(しぎたつあん)」は、京都の落柿舎、滋賀の無名庵とともに、日本三大俳諧道場の一つで、1664年小田原の崇雪が草庵を結んだのが始まりとのこと。それほど広くない庭には、無数の句碑が建立されている。

「鴫立庵(しぎたつあん)」


 今回はずっと雨の中、途中から風も強くなり、傘を差していてもビショビショ。これで年内のツアーは完了。1月はお休みで、2月の小田原から再開。3月からは1泊、6・7月は2泊3日の予定。最後の三条大橋まで連続参加でたどり着けるかどうか?


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