第5回は小田原宿。これまで小田原城くらいしか行ったことがない。行ったのが2月中旬、訪ねた先々で 梅・水仙・みかん などが季節を感じさせてくれた。

 

最初に訪ねたのは二宮に近い、相模33札所の1番「藤巻寺」。名前の通り、境内には二宮町が天然記念物に指定のフジの古木が植わっていた。

藤巻寺の石仏を梅の枝越しに見る


 大山道は、相模国 大山阿夫利神社(現・神奈川県伊勢原市)へ参拝するため道で、大山から関東平野はもとより東北、東海地方へと放射状に広がっていたそうだ。そして、その入り口に彩色された石の毘沙門天(多聞天)が置かれていた。インド古代神話の神でヒンドー教ではクベーラという財宝の神四天王の一人で北方を守護、四天王中最強の武神で単体で祀られるときは毘沙門天という。武神ということで、足利尊氏・上杉謙信・楠木正成など戦の神として戦国時代の武将の信仰を集めた。

大山道を守る毘沙門天


 酒匂川は、海に近くて満潮時に川が逆流したことからこの名前が付いた、とはツアーの解説をしている新田完三氏のバス車中での解説。まずまずの天気のせいか、家族でジョギングを楽しむ姿が見られた。写真では識別できないがうっすらと富士山も見えていた。毎夏、8月第1土曜日には「酒匂川花火大会」が開かれている。

酒匂川河川敷


 今回の昼食は、小田原脇本陣古清水屋旅館さん。ビールを頼んだら大瓶が出てきて、昼食に一人で飲むにはちょっと多かったが、600円は安かった。
 昼食後の腹ごなし、石垣山一夜城歴史公園へ登る。ここは、天正18年(1590)に豊臣秀吉が小田原攻めのために約80日をかけてここに城を築き、完成後、小田原城側の木を伐採し、一夜にして城ができたように見せかけたことが名前の由来という。石垣で固めた城郭や井戸の跡が残っているが、関東大震災で打撃を受け、かなりの部分が崩壊したとのことだ。天主跡の高台に登ったら261.16mの水準点が置かれていた。

城郭石垣の跡


 小田原藩主 稲葉氏一族の菩提寺 長興山紹太寺 は、枝垂桜で有名である。4月初旬にフジの花房のように垂れ下がり、毎年どこかの局でテレビ中継される。
 長興山紹太寺は、黄檗宗総本山宇治万福寺から招かれた鉄牛和尚の開山で、往時は七堂伽藍の整った大寺院だったが、幕末、明治の火災で多くの堂塔を失い、現在では子院の清雲院が残り紹太寺の寺号を継承している。初代小田原城主、稲葉正勝の実母が春日の局である。登りきったところに墓所があり、ここに春日の局の供養塔も建立されている。

供養塔に「空・風・火・水・地」の文字が読める


 町を歩いていたら、魚屋さんの横の路地に干物を作る網棚が置かれていた。小田原で連想するのは、箱根の登山口、梅(梅干)、かまぼこ、そして干物であろうか。

路地の干物


 今回までは「日帰り」。次回の第6回「箱根」から第8回まで1泊、9・10回は2泊となる。東海道も箱根を越えて本格化、これからが楽しみである。


第4回へ戻る ホームページへ戻る 第6回へ