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 またまた雨の「原宿〜岡部宿」でした。これまで奇数回は降られていなかったのですが・・・。
 原・吉原・蒲原・由比・奥津・江尻・府中・丸子・岡部の9宿が今回の行程です。そして、蒲原といえば広重の東海道53次「蒲原の圖」が思い出されます。私「」、2文字を抜けば広重となります ..... (^。^)

 今回から新幹線利用、まずは「こだま」で三島まで。そこから小型バスに乗り換えて、原宿の松陰寺へ。 「駿河には、すぎたるものが二つあり。一に富士山、二に原の白隠。」というそうですが、 白隠禅師は、貞享二年(1685)に原で生まれ、ふるさとの松蔭寺で亡くなったそうです。

松陰寺門前


  これが擂鉢松(すりばち松)だそうです。備前岡山藩主池田候が立ち寄った際に、炊事番が大擂鉢を壊し、和尚は「時期が来たのだ」と気にも留めなかったが、池田継政は備前焼の大擂鉢を数個作らせて届けた。白隠はこれを台風で折れた松の傷口に雨よけに載せてやり、松はすり鉢を載せたまま大きくなった、とのこと。本当??

擂鉢松


 かつて、富士川渡船は、甲州三河岸(鰍沢・黒沢・青柳)との通船が行われていた。「上り場」常夜灯は、富士川渡船と甲州通船の交通安全を祈って、文政13年(1830)に再建されたもの、だそうです。

富士川の常夜灯


 今回の楽しみは各地で桜が見られること。ここ蒲原、八坂神社の裏山、御殿山には桜が咲き誇っていました。手前はソメイヨシノ、山の上のほうは山桜でしょうか。あいにくの雨模様でしたが、見事!!でした。

八坂神社と御殿山


 麓からタクシーに分乗してさった峠 に登る。あまりの急坂、道幅が狭くて小型バスでも入っていけない。海外に沿って東名道とJR在来線が、山腹を貫いて新幹線の由比トンネルがある。かつては海岸線を汐が引いたときに歩いて渡ったという。反対側の興津から登ってくると一気に眼前に富士山のパノラマが広がる由。女性のタクシードライバーが「目を瞑れば正面に富士山が見えます」とのたまう。
 びわの産地ということで親指ほどになった実に袋がかけてあった。足利氏兄弟や武田氏と今川氏、北条氏が戦った古戦場でもある。

さった峠から富士の方角を望む


 「望嶽亭」はさった峠の東口にある。幕末に山岡鉄舟が官軍に追われてかけ込み、ここから漁師に変装して逃げたと言う。家の中に蔵座敷があり、鉄舟が置いていったと言うピストルが残されている。故人となられた松永宝蔵氏に代わって奥様が気さくに説明してくれる。宝蔵氏が描いた「東海道は日本晴れ」を購入するとお孫さんが袋に入れてくれた。松永家の家業は農家。70を越したと思われる奥様は、今でもびわの袋がけをやっているとのこと。

説明してくれた松永夫人


 興津「巨鼇山清見寺」は臨済宗の名刹。秀吉が韮山城攻めに陣鐘に用いたと伝えられる梵鐘、裏山には五百羅漢が並び、境内の中を東海道線が走っている。ここから眺める清見潟は絶景といわれていたそうだが山下清の言葉を書いた案内板が置かれていた。

お寺から見える海は、うめたて工事であんまりきれいじゃないな お寺の人はよその人に自分のお寺がきれいと思われるのがいいか 自分のお寺から見る景色がいい方がいいか どっちだろうな

山下清 「清見寺スケッチの思い出」より

清見寺のさくら


清見寺裏山の羅漢さん

おまけの1 今回見た石仏


 駿河湾と言えばこの季節 桜えび 、季節には富士川の河川敷をピンクに染めるそうです。昼食は蒲原の味処 よし川 。釜揚げ、素干しもよいですが、私はかき揚げが美味しかったです。
 夜も清水市内の なすび で桜えび、生しらす、まぐろをたっぷりいただきました。

後編へ続く


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