12月31日 (土曜日)

   −−− 海岸での年越し −−−

 大晦日の日。朝3時に起こしてくれるといっていたが、ふと起きると4時。4時35分、孫達を乗せて、お母さんの運転で出発。早朝なので道はけっこうすいていて、モジ(Mogi)の町まで1時間半ほどで到着。夜が明ける町を見ながらコーヒーを飲む。
 7時半前に、サンセバスチアン(Sa~o Sebastian~)にある別荘に到着。海が目の前の、素敵な家。お手伝いさんと、すでに着いていた妹さんや、友だちがいた。
★写真:別荘について、朝ごはん。いつもと同じ、パンとチーズとマルタデーラとコーヒーと牛乳。食卓にパネトンがあります。★

 8時半ごろから海へ。朝早いので、人が少なく、すごく遠浅。かにをとったり、孫と遊んだりしていると、家にいた人たちもやってきた。浜辺で寝転んでココナッツを飲んだり、なんと優雅な時間だろうか。極楽である。パラダイスである。
★写真左:お母さんが、カニをとるために、エサとなる生魚にひもをつけて持って来ました。海につけておくと、カニよりも小魚が群がってきました。★
★写真右:カニもとれました。サワガニのように、揚げて食べるとおいしいそうです。ところで、この写真、右手前が海、左奥が陸地です。ものすごい遠浅であることがわかります。★

★写真:今回のブラジルで、もっとも印象的な写真のひとつ。大晦日の大西洋岸です。帰ってきて★

 4時間ぐらい浜辺で遊び、家へもどる。シャワーをあびると、石鹸はこの新しいのを使え、シャンプーはあっちの浴室からいっぱい入っているのを持ってきたから、シャツはこれを着ろ、ズボンはこれ、といたれりつくせりで、昔、子供のころにおばあちゃんの家に行った時のようである、昼ごはんを食べてお昼ね。
 5時過ぎに、近所のインディオの部落を見学。普通は入れないそうだ。電気もきていて、テレビのアンテナが各家庭にたっていて、それほど昔の暮らしを継承しているわけではないけど、その地域は閉鎖されていて、勝手に外部の人が入ってはいけない。学校をみたり、おみやげをわたしたりもらったりした。
★写真左:インディオのみなさんと。ここの村には、80家族ほどが住んでいると言っていたかな。★
★写真右:いつもサラダで食べていた、Palmitoの茎。★

★写真:村の中の、学校。家に比べると、しっかりした建物です。部族の言葉と、ポルトガル語、両方を勉強しているようです。★
 帰ってくると、また家には人が増えていて、もう誰が誰だかわからない。おととい、妹さんの家で会った、岐阜に住んでいた人と話をしたり、さっき撮ってきたインディオの写真や海での写真をみんなにみせたり、アイスクリームを食べに50mほど先の店に行ったりしているうちに8時である。テレビでは歌番組をやっていて、恋のマイアヒが流れていた。

 10時過ぎから、夕食。まもなく2005年が終わる。
★写真左:刺身を作ってくれました。★
★写真右:夕食。★

 12時ちょっと前に、グラスを持って、みんな砂浜へ。シャンパンをついで、トレッス!ドイス!ウン!Viva! あちこちで花火が上がる中、乾杯しながら、ハグして、「Feliz Ano Novo!」を言った。
★写真左:Feliz Ano Novo!★
★写真右:波を七回跳び越えて、願い事をします。日本で言う初詣?★

★写真左:年越しの食べ物。たぶん、レンズ豆のスープではないかと。レンズ豆がお金の形に似ていることから、お金がたまることを願って、年越しに食べる習慣が世界各地にあるようです。★
★写真右:ざくろの種。これも、種がたくさんできることから、金運上昇を願って食べて、種を財布に入れておきます。★

 こうして、2006年はブラジルの大西洋岸で迎えたのであった。印象的な年明けである。
 シャンパンで酔ってしまい、即寝た。

今日のブラジルの印象→子どものころ、田舎に行った時の感覚。

(続く)

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