−マタハリのこと−

カット:マタハリ インドネシアへ行く前から、ひっぽのメタ活の時にTapeの中のマタハリという音が面白くて、皆で股を広げて“マタハリ!!”と遊んでいたけれど(ソノコの“今、夜の8時なのにお日様なんか‥‥‥”とか、カバジンの“もうお日様も山のむこう‥‥‥”の所etc.)パパと話をしている時に、“目はマタだよ”と教えてもらった時、アレ?!それじゃマタハリは目+ハリ。ハリイニは今日だから、太陽(マタハリ)というのは、日(今日という日)の目だったのだ!!そう思った途端に赤道直下の、この太陽と海の国に住んでいる人は、太陽とはその日の目のことで、朝は太陽が登るとその目が輝き始め、夕方になると目は静かに閉じる。そして夕闇になり、夜は眠りにつく。何という壮大な発想で“ことば”を創ってゆく人達なんだろう。これぞ天と地を結びながら毎日を生きている人達の集団!!
 そう思った途端に“枕詞千年の謎”の中の“そらみつ”が想い出された。饒速日命(ニギハヤヒノミコト)が天孫光臨の時に、大空を天盤船(アマノイワフネ)に乗って、こぎめぐりながら、光り輝くやまと盆地に下りたという、壮大な天と地を舞台にした古代の光の物語が目に浮かび、この“そらみつ”を読んだ時の感動と同じものが再びわき上がり、なんだ、ここにも同じものがあった!!と思った時、思わず“サヤ スカ(好) バハサ(語) インドネシア” “サヤ スカ オラン(人) インドネシア!”と言っていた。
 こういう目で見てこの国に住んでいると、何て豊かな国なんだろうと嬉しさがいっぱい、こみあげてきて、つい、“ことば”のこと、“ヒッポ”のことを沢山話していると、そんな時パパも同時に“サヤ スカ ヒッポ!!”と言っていたのです‥‥‥不思議!!‥‥‥そして以来、パパは自分の友達がたづねてくるたびにヒッポのことを紹介して、私にもアルバムを持ってきていろいろ話しなさい!と言うのです。

−ハティハティのこと−

 “気をつけて!”の時、“ハティハティ!”と言われていたので、ハティハティは何となく暖かさの伝わってくる音としてあったのですが、ハティはだよ、と聞いた時、“エッ、そうかあ、気をつけるということは、をかけることだったのだ”
 そういえば、中国語もシャオシンア!(小 心 ロ阿)といって心が入っているし、韓国語だってチョーシメー(操心()の中に心が入っているな、とすぐに連想している自分がいるのです。
 そして、マカン ハティって何の意味か知ってる?ときかれて、“エッ?心を食べるの?!”ウーン、そんな表現はあまり聞いたことがないので答えられずに考え込んでいると、“それは本当に悲しい時、たとえば恋人に去られた時とか‥‥‥”なるほど、解る様な気がする‥‥‥。やっぱり、こんな表現を創ってゆくバハサ インドネシアもオラン インドネシアもサヤ スカ バニャ!!なのです。

−パンギランのこと−

 スーパーマーケット(何と、マタハリというスーパーもある)に行った時、放送で“パンギラン‥‥パンギラン‥‥”と何度もきこえてくる。何だか聞いたことのある親しみを覚える音なんだけど、何を言っているのかな?とボヤーっと考えながら歩いていると、突然自己紹介が想い出され、そうかあ!解った!!これは、きっと“お呼び出し致します。お呼び出し致します‥‥”と言っているのだと自分で解った時、思わず嬉しくてスキップしてしまいそうだった。
 自己紹介の時、アパカバール? カバル バイク? −バイクバイク− ナマ サヤ ワカ イノウチ. パンギラン サヤ ワカチャン. スラマブクナラン.と、みんなが言う真似をして適当に言っていた。マレーシア語ではナマテマカンだけど、インドネシア語ではパンギランというらしい、というだけで別に何も考えないで言っていた音だった。でも、何かの状況が起こった時、身体の中からよみがえってくるものだと我ながら感心してしまった。
 その上、不思議なことに、帰国してTapeをきいていると、マレーシア語のTapeの中にパンギランというのがアチコチにあるのが聞こえてくるのです。同じTapeをいつものようにBGMで聞いているだけなのに‥‥‥やっぱり、不思議だなあと思うのです。(これは私だけでなく沢山の人がいつも言っていることなんだけど‥‥)
 ホームステイ中、パパは忙しい中を会社から早く帰宅して、息子のビンビンの運転でタマンサファリ(動物園)へ連れて行ってくれたり(そこではコキリが象に乗っていて、思わず“ウワー!ゾウが象に乗ってるゾー”と叫び、私もサンガジャ(象)に乗っけてもらったけど、歩くたびに象の背中の皮が前後にズレてタープットスカリー!!(コワかった!!))、プンチャックという峠までドライブしたり、その車の中では日本の軍歌を大声で唱って、自分は15才の時故郷のスラバヤでオランダ兵として日本兵と戦い、日本が負けたあと、今度は日本兵から銃をもらい戦い方を教わって今度はオランダ兵に銃をむけた(独立戦争のため)そして、自分の家族、親類、友人は沢山死んだ‥‥‥etc.‥‥‥まさしく、“オラン 歴史”のパパだった。
 でも、日本が好き、日本語も大好き、息子のビンビンをどうしても日本へ行かせたい。‥‥‥ビンビンはとってもやさしいいい子で、パパの健康のことをいつも気づかってよくお手伝いをする子です‥‥‥
 パパは糖尿病で、毎日病院から看護士が注射を打ちにくる。歩くのが大変で、足をひきづって歩いているのです。それなのに受け入れをして、私の為に自分の精一杯をやってくれているのです。  “ボクは沢山のことを日本人にしてもらったから‥‥‥(戦後補償で日本政府から留学させてもらい、いい日本人に出会ってきたetc.‥‥‥)”と言っていました。

象に乗るわかちゃん1写真(左):タマンサファリ(ボゴールの近くの動物園)で、僕(コキリ)が象に乗っている時、偶然わかちゃんが来ました。(photo by コキリ)
象に乗るわかちゃん2写真(右):同上。手前にいる3人は、一緒に行ったヒッポのメンバーです。今回のホームステイでは、日本人どうしが顔を合わせることが本当に多かったのでした。(photo by コキリ)

(続く)

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