−Thank’s Partyのこと−
ジャカルタへ戻る前日の夜はボゴール大学でヒッポ主催のThank’s Party。ヒッポ主催とはいえ、全てAOTSのペースで事が運ばれる。とりあえずビントロ先生(ボゴール大学の先生で今回のホームステイ責任者でもあり、アッコさんのホストパパでもある)に今度こそ、歌ったり踊ったりのヒッポをやりたいので、ぜひオープンスペースのある部屋を!!と頼んでおいた。
さて、集まってみると‥‥‥立派な舞台があり、ビッシリと椅子が並んでいる。(でも移動できる椅子だったので安心した)ジャカルタからAOTS会長のイズマジさん、専務のバスキさん、サレーさん他2人の人が参加して下さり、とても正式な感じでみんな盛装している。
夕食のあと、挨拶が始まった。まず最初はビントロ先生、いつになく緊張した顔で固い真面目な講義調の話が長く続き、少し日本語も入れて終わった。彼には今回受け入れ家族を決めるのにずい分苦労して頂いたので、心からご苦労様、ありがとう!!の気持が湧いた。司会はサレーさんと日本語の上手な大学生の2人。
次に、バスキさんの挨拶、この人は押し出しも立派で堂々とAOTSがどんなことをしているか、とか、何だか解らないけどエンエンと演説をなさって、この人はエライんだという印象だけが残った‥‥‥一体、このパーティはどうなってしまうのかな?こんなに立派なご挨拶ばかりで‥‥‥と、段々ヒッポのメンバーの身体が椅子に沈んでいくような気がした。でもバスキさんが日本語で話し始めたと時、上手な日本語だけどチョッとヘンなところがあって、何かホッとした気分になった。
これで終わりかな、と思っていると、次にイズマジ会長が立って、又演説が始まった。やっぱり、この人もエライんだな!という印象だった。でも、日本語になった時、やはり少しヘンな所があってホッとした。
もう、こうなってくると会場はすっかり固い会議の雰囲気になっていた。そこへ突然サレーさんが“次はヒッポを代表してワカ イノウチさんに挨拶を!!”と言われて本当に驚いてしまった。
こんなに立派なスピーチのあとで“この私が?”という気持だった。でも、もうサイは投げられたのでモタモタしているわけにもいかない。とりあえず前に出て、パパにも私の横に立ってもらうことにした。そして、マイクをにぎった途端、いつもの調子でしか、ものの言えない自分に気がついた。(日常というものがこうも強いものなのだ、ということを認識させられた一瞬だった)
何とか自分の持っている限りのインドネシア語で言いたかったので、まず自己紹介から。“アパカバール! カバルバイク? ナマサヤ ワカ イノウチ.パンギランサヤ ワカチャン.スラマブクナラン‥‥‥カミスモア スダ ダタン ク インドネシア プルタマカリ‥‥‥エーっと”‥‥‥思わずパパの方を向いて、“はじめは、どんな人に出会えるのか、とても心配で胸がドキドキしましたが‥‥‥”って何て言うの?と、たづねるとパパが耳もとで、ムルムルー−−−−−−−−−−−−”と言ってくれた。そのムルムルを聞いたとたんに、コキリがいつもヒッポの時に言っていた空港の場面がパッと浮かび、100ワット電球がついたように嬉しくなって思わずコキリのほうをむいて“ムルムルだって!!”と叫んでしまった。そして、そのあと、パパの言ってくれた通りを、いつものメタ活のように真似して言ったところ、会場中が大爆笑になり、いっきにHIPPOの雰囲気になった。そして、そのあとからはパパとメタ活しながらの挨拶で、終わった時には全体がはじけた様に笑っていた。
こんなにラクで楽しい挨拶だったら、誰でもやれるな、と嬉しくなってしまったのです。そして次々に3家族位がホームステイの感想を言っていった時、又、突然サレーさんに“ワカチャン、アトラクションにうつりましょう!!”と言われ、あわててコキリ達に“笛、笛!!”と言うと、すぐに3人でインドネシア民謡の“可愛いあの娘はだれのもの”を吹いてくれ、又、会場中にさわやかな空気が流れた。次に“荒城の月”の時にはハイハイのママがとび入りで上手な日本語で唱って日本とインドネシアが融合したような気がした。そして次にジュンとケイに“合気道”と言ったけれど、昼間の疲れもでて2人共椅子に坐ったまま眠りこんでいてパスということになった。
では、みんなでSADAをやろう!!ということになり、椅子を片付け、Sing Along Dance Alongから始まった。私は何といっても、まずバスキさんやイズマジ会長と仲良しになりたいと思ったので、率先して彼らとHow are you my friend?やThe farmer in the Dellをやり始めると、他のインドネシアの人達もどんどん入ってきて、ふっと見るとパパもニコニコしながら、でも歩きにくい足をひきずってSeven stepsをやっていたり、どの人も数を言っては大笑い、全くいつもの場所(東京の)でいつものメンバーとヒッポをやっているのと同じ雰囲気。(イスラム教でヴェールをしている人もナリフリ構わず!!)
それにしても、さすがだと思ったのは、ヒッポのメンバーの動き方。誰に言われるわけでなく、さっとTape係している人、気の弱そうな人を引っぱり出している人、写真を撮っている人etc.‥‥‥みんなの気持の集まった嬉しい嬉しい会になり、“再見”の歌を唱って帰る時にはどの顔も活き活きしてピッカピッカだったのです。ああ、良かった!!インドネシアへ来て一番嬉しかったし、一番楽しい時間だったなぁと心から思ったのです。
写真(左):Thank’sPartyは、こんな感じで始まりました。前で演説しているのはバスキーさん。客席では、ジュンとケイが熟睡していました。(photo by コキリ)
写真(右):挨拶するわかちゃんと、スラマトパパ。はじめ、って何て言うんだっけ?(photo by コキリ)
写真(左):笛(リコーダ)を演奏する3人。左から、やっちゃん、ピンプ、僕。(photo by コキリ)
写真(右):SA!DA!をしているところ。まるで日本にいるみたいです。誰が日本人で誰がインドネシア人だか、わかりません。(photo by コキリ)
写真(左):Seven Stepsで盛り上がる人達。(photo by コキリ)
写真(右):最後にみんなで記念撮影。(photo by コキリ)
(続く)
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