今週のフォトエッセイ 1997年1月17日


今週の写真:復興へ羽ばたけ

神戸の花時計

復興へ羽ばたけ

 1995年1月17日早朝、布団のなかでうとうとしていた私は「ゴーっ」という地鳴りで目を覚ましました。「あっ、地震だ」と思った瞬間、大きな揺れがおそってきました。タンスが倒れてくるかと、一瞬不安がよぎりましたが、幸いにして我が家ではほとんど被害もありませんでした(とそれから1か月近くは、そう思っていました)。
 地震の時は縦揺れの時間を数える癖が付いているので、縦揺れの長さから震源はすぐ近くではないがせいぜい100km200kmくらいしか離れていないだろうと思いました。震度は5以上だと感じたので、これは滋賀県〜岐阜県辺り、または和歌山あたりを震源とする地震かと思いましたが、まさか淡路島が震源だとはそのときは思いませんでした。私のところももちろん停電しましたので、これは「水が使えなくなる可能性がある」と感じたので、子供たちには「トイレの水を流すな」とまず言いつけました。水と言えば、水槽の水が1/3位こぼれてはいましたが、水槽そのものは大丈夫だったのが少し以外でした。
 ラジオを探してくると、京都や彦根、豊岡で震度5、震源は淡路島付近と言っています。一瞬「えっ?」と思いましたが、六甲山周辺には活断層があって、新幹線の新神戸駅は活断層の真上にあることを思い出したので、すぐに納得しました。これは神戸や大阪はひどいなと思いましたが、大阪の震度は京都より弱い4と言っていたので不可思議に感じました。
しばらくして、神戸の震度は6という情報が入ってきたので、「やっぱり・・・」と思ったのですが、それから数分後には神戸の震度は5に訂正され、「・・・???」と思っていたら、大分経ってから再び震度6に戻されました。気象庁やNHKも随分混乱していたのでしょう。
近所では救急車のサイレンがなっていましたが、火災は発生していないようでした。そうこうする内、予想よりずっと早く電気が通じました。後はずーっとテレビに釘付け。電話は自粛していましたが、妻の実家(青森)から電話がかかってきました。もちろん、早めに切ってもらいましたが、その後は自宅の電話は使えなくなりました(これはもちろん当然ですが・・・)。
その後、神戸周辺の大きな被害映像がテレビに映し出されるようになりました。私は、神戸の三宮に毎週仕事で出かけていましたが、私の職場のビルも映し出されています。ガラスは割れているようですが、どうやら大丈夫そうです。しかし、ほんの数棟はなれたビルはピサの斜塔のように傾いて今にも倒れそうです。私の友人や教え子たちは大丈夫だろうか、とただただ無事を祈るばかりです。わたしも、翌18日には三宮に行くはずでしたから、地震が起こるのがすこしずれていたら、私自身もけがをしたり、あるいは命を落としていたかも知れません。とても人ごととは思えませんでした。

4月からは仕事も再開され、また毎週三宮に出かけるようになりました。はじめの半年くらいは、見るだけで涙があふれてくるような、ぼろぼろになった町並みが続き、電車に乗っている人たちもほとんどの人はただ無言で、車窓をボー然とながめていましたが、次第に被害家屋も取り壊されたり修復されたりして、外見はもとの姿を取り戻してきたような気にさせてくれるようになりました。でも、震災前の神戸の写真と今の風景を比べると、まだまだ「復興」というにはほど遠いのが現状です。同じ神戸に住んでいても、被害が比較的少なかった人もいれば、もうどうしようもないほどたたきのめされた人たちもいます。以前と同じ生活を取り戻せないでいる人たちが、まだまだたくさんいるということを忘れないで欲しいと思います。そんな中で、みんな「がんばって」いるのです。

今年の1月15日成人の日、私はいつものように三宮に仕事で出かけました。三宮の駅周辺には、振り袖を来て着飾った新成人の姿がありました。去年よりも元気になったかなと思う一方で、成人のお祝いどころでない(あるいはそんなことを考える気になれない)人たちもまだまだたくさんいることを考えると、非常に複雑な心境になりました。2年前の1月15日に同じように成人を祝った人たちの中にも、その2日後、命を絶った人がいると思うと、振り袖を見ていることはできませんでした。

さて、この写真は復興の願いをこめて作り直された花時計です。チョウをディザインしたのは、もちろん羽ばたき=復興の象徴となるからです。この横には途中階がつぶれた神戸市旧庁舎がまだ手をつけられないまま、この花時計を見下ろすように立っていました。この花時計があるのは三宮のフラワーロードで震災の前はたくさんの花々で飾られ、アオスジアゲハやナガサキアゲハ、ヤマトシジミなどのチョウが飛びまわっていました。チョウの花時計は作られましたが、まだ三宮にチョウはほとんど戻ってきていません。神戸の復興のためには、建物や道路の再建や修復もさることながら、「人」が戻ってくることが重要です。
あなたも、どうか神戸にお出かけください。


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