今週のフォトエッセイ 1997年1月17日

今週のフォトエッセイ 1997年1月24日


今週の写真:越前海岸の夕陽

越前海岸の夕陽

越前海岸の夕陽

 例年なら、福井県越前海岸はスイセンを見る観光客で賑わう時期ですが、今年はロシアの原油流出事故が起こってしまったため、それどころではなくなってしまいました。
 この写真はスイセンで有名な場所より少し南に下がったあたりから撮影した日本海の夕景ですが、冬の今頃は空気も澄んでいるので、天気が良ければきれいな夕景を楽しむこともできます。もちろん、気温は氷点下になったりするので、防寒具の準備は必要です。
 ロシアのタンカーの一部が漂着した福井県三国町の東尋坊には、12月31日に行ってきたばかりですし、若狭湾から越前海岸へかけての海岸線にも、時々撮影に出かけていますから、あの海岸線が重油で汚染されてしまったのは、非常に残念でもあり、悲しくもあり、また人間のひとりとして情けない思い出いっぱいです。
 ニュースでは盛んにボランテイアの人たちを取り上げていたり、最近は水鳥の被害を伝えていますが、「そこで生活している人たち」の姿や声があまり伝えられていないように思います。
 災害が起こったときに、いちばん困っているのは、そこを生活の場にしている人たちなのですから、その人たちの姿や生の声をもっと伝えるべきではないでしょうか。
 ボランテイアに出かけた人たちは、確かに立派で目を見張るものがあるのですが、「今日も悪天候のため、重油除去作業は中止になりました。」といって、ボランテイアの人たちにインタビューを繰り返すような報道は、そろそろ卒業して欲しいと思うのです。ボランテイアの人たちもそんなことを望んではいないはずです。
 重油が流れ着いた事実を伝えることも必要ですが、重油が流れ着いたら何が困るのか、だれがどう困るのかという視点が、どうも欠落しているようなそんな気がしてなりません。災害が起こるといつも感じるのですが、マスコミはまるで災害を待っていたかのように、現場に駆けつけ我先にと報道します。もちろん、被害を伝えることは大事なのですが、その先の報道の仕方を見ていると、傍観者の立場で災害をまるで「楽しんでいる」かのような姿勢が見え隠れするのです。むろん、これはマスコミだけの問題ではなく、それをこころのどこかで期待している人間の問題でもあると思うのですが、やっぱりそれではダメだとおもうのです。
 よく「写真やビデオはうそをつかない」と思っている人がいますが、写真やビデオもよく「うそ」をつきます。意図的なトリック写真はもちろんですが、そうでなくても、撮影者は自分にとって都合のよい風景や場面だけを切り取って伝えます。
 ここに示した写真だってそうです。まわりのあまり美しくない(と私が判断した)風景はカットして、わたしが美しいと感じた部分だけを撮影したのです。また、写真を撮っている人は誰でも知っているように、目で見えている世界と写真に撮った世界は必ずしも同じではありません。例えば、この写真の場合、実際の風景はこんなにカラフルには見えないのに、フィルムの特性でより赤く、かつより青く表現されるのです。写真家はそれを承知の上で、出来上がりの写真を想像しながら撮影しているのです。
 テレビなどで報道される映像もまたしかり。撮影の段階で、そして編集の段階で、意図的な操作が行われています。もちろん、こういう意図的な操作があるからこそ、見ているものに感動や衝撃を与える訳ですが、操作されたものなのだということを見る側はつい忘れてしまいます。
 見せる側としてはそうなれば大成功なのでしょうが、見る側の私たちはそれではいけないと思います。マスコミに踊らされるという表現がありますが、映像の影に隠れているものをいつも見いだす努力をする必要があると、わたしはそう思います。

 少々、話が横道にそれましたが、寒風の中、重油回収にあたっておられる皆様のご努力に敬意を表すると共に、一日も早い解決をお祈りしております。悪いカゼも流行ってきました。くれぐれもご自愛下さい。


バックナンバー


1997年 1月17日
1997年 1月 8日
1997年 1月 1日
1996年12月24日
1996年12月17日
1996年12月10日
1996年12月3日
1996年11月26日
1996年11月19日
1996年11月12日
1996年11月5日

他の写真を見る





くりえいとPENのホームページへ戻る




くりえいとPENへのご意見、ご要望は
pen@mxs.meshnet.or.jp まで